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2026年8月の記事:ブログ
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【第4回】介護費用は月9万円だけではない―平均数字の正しい見方

第4回

全20回連載 「老後資金を増やす前に 介護で失わない家計のつくり方」

親の介護、自分たちの介護、仕事とお金―50代・60代が今から考えたい20の現実

「介護には月9万円かかる」と聞いたら、どう考えますか?

介護費用について調べると、「介護費用は月平均9万円」という数字を目にすることがあります。
 

すると、「月9万円くらい準備しておけばいいのかな?」と思う方もいれば、「そんなにかかるの?」と不安になる方もいるでしょう。
 

しかし、私はこの「平均9万円」という数字だけで介護資金を考えることには注意が必要だと思っています。
 

なぜなら、介護にかかるお金は、
 

・在宅介護か施設介護か?
・介護が何年間続くか?
・要介護度はどの程度か?
・どのサービスを使うか?
・本人の年金や預貯金はいくらあるか?
 

などによって、大きく変わるからです。
 

大切なのは、「平均はいくらか?」ではなく、「自分の家庭では何が起こりそうか?」を考えることです。
 

「月9万円」の出どころを確認してみましょう

公益財団法人生命保険文化センターの「2024年度 生命保険に関する全国実態調査」によると、過去3年間に介護経験がある人が負担した介護費用は、
 

一時的な費用 平均47.2万円
月々の費用 平均9.0万円
 

となっています。
 

この費用には、公的介護保険サービスの自己負担費用も含まれています。
 

また、一時的な費用には、住宅改造や介護用ベッドの購入なども含まれます。
 

【引用・参考】
公益財団法人 生命保険文化センター
「介護にはどれくらいの費用・期間がかかる?」
https://www.jili.or.jp/lifeplan/lifesecurity/1116.html


ここでまず知っておきたいのは、「月9万円」だけが介護費用ではないということです。

介護が始まる際には、住宅環境を整えたり、介護用品を用意したりするなど、まとまった費用が必要になるケースもあります。
 

在宅と施設では、平均費用が大きく違います

同じ調査を介護場所別に見ると、月々の介護費用は、
 

在宅介護 平均5.3万円

施設介護 平均13.8万円
 

となっています。
 

平均9万円という数字の中には、こうした異なる介護の形が一緒に入っています。
 

つまり、「平均9万円だから、自分も月9万円」とは限らないのです。
 

親が、「できるだけ自宅で暮らしたい」と考えているのか?
それとも、「子どもには迷惑をかけたくないから、必要なら施設も考えたい」と思っているのか?
 

この違いによって、必要となるお金の考え方も変わってきます。
 

だからこそ、マネープランを作る前に、「本人がどのような介護を希望しているのか?」を確認することが重要なのです。
 

介護は「月額」だけでなく「期間」で考える

もう一つ重要なのが、介護期間です。
 

生命保険文化センターの同じ調査では、介護期間の平均は、55.0カ月=4年7カ月となっています。

さらに、4年を超えて介護した人も約4割います。
 

もちろん、「介護は必ず4年7カ月続く」という意味ではありません。

短期間で終わる方もいれば、10年以上続く方もいます。
 

つまり介護費用には、「毎月いくら?」という問題と、「それが何年続くか?」という二つの不確定要素があります。

よって、「平均月9万円×平均期間」だけで自分の必要介護資金を決めることにも注意が必要です。
 

平均値はあくまでも参考材料。

自分の家庭の予算を決める数字そのものではありません。
 

介護保険があるから大丈夫、とは限りません

日本には公的介護保険制度があります。
 

介護保険サービスを利用する場合、原則としてサービス費用の1割を本人が負担し、一定以上の所得がある人は2割または3割負担となります。
 

これは非常に重要な制度です。
 

しかし、「介護保険があるから、介護に必要なお金はほとんど心配しなくてよい」という意味ではありません。
 

例えば介護保険施設を利用する場合、介護サービス費の自己負担とは別に、
 

・居住費
・食費
・日常生活費
 

などの負担が必要になります。
 

【引用・参考】
厚生労働省 介護サービス情報公表システム
「サービスにかかる利用料」
https://www.kaigokensaku.mhlw.go.jp/commentary/fee.html
 

在宅介護にも「限度額」があります

在宅で介護保険サービスを利用する場合も、好きなだけ1割、2割、3割負担でサービスを使えるわけではありません。
 

要介護度ごとに、1カ月に利用できる介護保険サービスの「支給限度額」が設定されています。
 

例えば、厚生労働省の介護サービス情報公表システムでは、1カ月あたりの利用限度額として、
 

要介護1 167,650円
要介護3 270,480円
要介護5 362,170円
 

などが示されています。
 

この範囲内なら原則1~3割負担ですが、限度額を超えてサービスを利用した場合、その超過部分は全額自己負担となります。
 

つまり、「在宅なら安い」「介護保険があるから安心」と単純には言えないのです。
 

高額介護サービス費という仕組みもあります

一方で、介護サービスの自己負担が高額になりすぎないよう、「高額介護サービス費」という仕組みもあります。
 

所得に応じて月額の負担上限が設定され、対象となる介護サービス費の自己負担が上限を超えた場合、超えた分が支給されます。
 

ただし、食費や居住費など一部の費用は、この上限制度の対象外です。
 

【引用・参考】
厚生労働省 介護サービス情報公表システム
「高額介護サービス費」
https://www.kaigokensaku.mhlw.go.jp/commentary/fee.html
 

こうした制度を知っているかどうかでも、実際の家計負担は変わってきます。
 

「介護保険外のお金」も見落としやすい

さらに見落としやすいのが、介護保険の給付対象外となる費用です。
 

厚生労働省の介護サービス情報公表システムでは、介護給付以外のサービス費用として、
 

・通常の事業実施地域以外でサービスを受ける場合の交通費
・通所介護での食事費
・施設での居住費
・日常生活費
 

などが例として示されています。
 

【引用・参考】
厚生労働省 介護サービス情報公表システム
「いくらでサービスを提供しているか」
https://www.kaigokensaku.mhlw.go.jp/care_services_guide/care_services_guide_03.html
 

さらに家庭側にも、
 

遠距離介護であれば実家への交通費。

病院や施設を訪問するための費用。

介護のために仕事を休むことで生じる収入減少。
 

などが発生する可能性があります。
 

こうした費用は、「介護サービスの自己負担額」だけを見ていては分かりません。
 

本当に怖いのは「介護費用+収入減少」

私は、50代・60代の方が介護のお金を考える際に、特に見落としてはいけないのが、「介護費用と収入減少が同時に起こる可能性」だと考えています。
 

例えば、親の介護のため月々の支出が増える。
 

その一方で、
 

通院同行のため休暇を取る。

残業ができなくなる。

出張を断る。

役職を辞退する。

短時間勤務になる。

そして場合によっては、介護離職をしてしまう。
 

すると、「介護に使うお金が増える」と同時に、「自分の収入が減る」ということになります。
 

介護費用を考えるときには、支出だけでなく、「仕事と収入への影響」までセットで考える必要があるのです。
 

平均額を「必要資金」にしてはいけない

介護費用について、
 

平均47.2万円。

月平均9万円。

平均4年7カ月。
 

こうした数字を知ることには意味があります。
 

しかし、平均値をそのまま自分の家庭の必要資金にしてしまうことには注意が必要です。
 

本当に確認すべきなのは、
 

① 親はどこで介護を受けたいのか?

② 親自身の年金はいくらあるのか?

③ 親の預貯金などを介護にどこまで使えるのか?

④ 兄弟姉妹など、家族でどのように支えるのか?

⑤ 自分の仕事や収入への影響はどの程度ありそうか?
 

ということです。
 

この5つが分からないまま、「平均月9万円だから...」と考えても、本当のマネープランにはなりません。
 

介護費用は「誰のお金から出すか」を決めることが大切

もう一つ重要なのは、「いくらかかるか?」以上に、「誰のお金から出すのか?」です。
 

親の介護が始まったとき、その都度子どもの財布から出していると、自分たちの家計と親の介護費用の境界が分からなくなっていきます。
 

基本的には、
 

親の年金。

親の預貯金。

親の保険。

親が保有するその他の資産。
 

などを確認し、「親自身のお金を中心に介護計画を立てる」ことが大切です。
 

そのうえで不足する場合に、誰がどこまで支援するのか?

兄弟姉妹でどう分担するのか?
 

を考えます。
 

「足りなければ子どもが払えばいい」という曖昧な状態にしておかないことが、自分たちの老後を守るうえでも重要です。
 

今日からできること――親の「介護のお金」を4つに分けてみる

親が元気な今、次の4項目を確認してみてください。

① 毎月入ってくるお金

・公的年金
・企業年金
・その他の定期収入

② 現在持っているお金

・預貯金
・保険
・金融資産

③ 介護が始まった際に必要となりそうなお金

・介護サービス
・住まい
・食費
・介護用品
・その他の生活費

④ 子ども側に影響しそうなお金

・交通費
・仕事を休むことによる収入減少
・一時的な立て替え
・その他の負担
 

すべての金額が分からなくても構いません。
 

まずは、「何が分かっていて、何が分かっていないのか?」を整理してみてください。
 

介護のお金を考える第一歩になります。
 

老後資金を増やす前に、介護で失わない仕組みをつくる

老後資金を考えると、「いくら貯めるか?」「どのくらい運用するか?」という話になりがちです。
 

しかし、親の介護について、
 

どこで介護するのか?

誰が動くのか?

どのお金を使うのか?

自分は仕事をどう続けるのか?
 

が決まっていなければ、本当の意味で自分たちの老後資金を計算することはできません。
 

介護費用の「平均」を知るだけで終わらない。
 

自分の家族の場合に置き換えて考える。
 

そして、「老後資金を増やす前に、介護で失わない仕組みをつくる。」これが大切だと私は考えています。
 

次回予告

第5回は、「介護保険があっても、すべての費用が賄えるわけではない」をテーマにお伝えします。
 

介護保険で利用できるサービス。

自己負担となる費用。

保険外サービス。

施設費用。

そして家族側で発生する見えにくい費用。

「介護保険があるから何とかなる」と考える前に、知っておきたいポイントを整理していきます。
 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━

「介護と老後資金」を一度整理してみませんか?

━━━━━━━━━━━━━━━━━━

介護費用は、単純に「平均月9万円」で考えられるものではありません。
 

親の希望。

親の年金・資産。

介護期間。

在宅か施設か?

仕事への影響。
 

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2026年08月29日 19:20

想定外の介護|第7回「今日はお風呂に入らない」だけではなかった。入浴拒否という介護の現実

第7回

家族なら簡単に勧められる――そう思っていた

※この記事は、私自身の父の介護経験と、介護現場で起こり得る事例をもとに、本人の尊厳と個人情報に配慮して構成しています。また、介護施設の対応を批判するものではありません。日々父の様子を見ながら、入浴につながるよう工夫してくださっている施設職員の方々から状況を共有いただいたことで、家族が初めて知ることのできた介護の現実です。


「お父さまは、対応の仕方によっては入浴を拒否されます」

父について施設の方から状況を教えていただいた時、気になったことの一つが「入浴」でした。
施設の方からは、「上手に対応しないと、『面倒だから』と入浴を拒否されることがあります」という話がありました。
 

私は最初、「お風呂に入りたくない日くらいはあるだろう」と考えました。

自分自身だって、疲れていれば、「今日はもういいかな」と思うことがあります。
 

でも、介護の中での「入浴拒否」は、それだけではないことを知りました。
 


「お風呂に入る」という行動には、いくつもの段階がある

元気な時は、「お風呂に入ろう」と思えば、自分で浴室へ行き、服を脱ぎ、身体を洗い、湯船につかり、身体を拭いて着替える。

何気なくやっています。
 

ところが、高齢になり身体機能や認知機能が変化すると、この一連の行動そのものが負担になることがあります。
 

立ち上がる。

浴室まで歩く。

服を脱ぐ。

寒さを感じる。

浴室へ入る。

身体を洗う。

立ったり座ったりする。

再び服を着る。
 

私たちにとっては一つの「入浴」という行為でも、本人にとっては、いくつもの動作の連続です。
 

「面倒だ」という言葉の裏には、本当に面倒という気持ちだけでなく、
 

疲れる。

動きたくない。

寒い。

怖い。

今していることを中断したくない。

なぜ入浴しなければならないのか分からない。
 

といった、さまざまな理由が隠れていることもあるのだと思います。
 


家族は、つい「入った方がいいよ」と言ってしまう

もし父が自宅にいて、「今日はお風呂に入らない」と言ったら。
私はどうするだろう、と考えました。
 

おそらく、
 

「昨日も入っていないでしょう」

「入った方がさっぱりするよ」

「身体をきれいにした方がいいよ」
 

そんな言葉をかけると思います。
 

でも、こちらが正しいと思って言っていることが、本人には、「無理やりやらされる」と感じられるかもしれません。
 

そして、
 

「嫌だ」

「今日は入らない」
 

と、さらに拒否が強くなる可能性もあります。
 

介護では、正しいことを伝えれば本人が納得するとは限らない。

これも、私には十分に想像できていなかったことでした。
 


「家族だから言うことを聞いてくれる」とも限らない

親子だから、本人のことをよく分かっている。

だから家族ならうまく対応できる。
 

そんなふうに考えることもあるでしょう。

でも、実際には逆のこともあります。
 

家族だからこそ、
 

「分かっているよ」

「何度も言わないで」

「子どもにそんなことを言われたくない」
 

と反発されることがあります。
 

昔は親が子どもを世話していた関係です。
 

その子どもから、
 

「お風呂に入った方がいい」

「薬を飲んで」

「トイレに行こう」
 

と言われる。
 

親にとって、その関係の変化自体が受け入れにくいこともあるのかもしれません。
 


施設では「入浴させる」だけではなかった

父が施設で入浴できているのは、「今日はお風呂の日だから入ってください」と言われ、そのまま素直に入っているからではありません。
 

父の気分。

体調。

その時何をしているか?

どの職員さんが声をかけるか?

どんな言葉を使うか?
 

そうしたことを見ながら、施設の方が対応してくださっているのだと思います。
 

私は施設からこの話を聞いて、「入浴介助とは、身体を洗うことだけではない」と感じました。

浴室へ行ってもらうまでにも、介護がある。
 

本人が納得し、動き出せるようにするところから、すでに介護は始まっているのです。
 


一回入らなくても、すぐ重大な問題になるわけではない

もちろん、一度入浴を断ったからといって、それだけで大きな問題になるわけではありません。
 

体調が悪い日もあります。

疲れている日もあります。

本人がどうしても嫌な日もあるでしょう。
 

大切なのは、単純に、「入浴拒否=問題行動」と考えないことだと思います。
 

ただ、それが何度も続けば、別の問題につながる可能性があります。
 

汗や皮脂による不快感。

皮膚の状態。

排せつ後の清潔保持。

褥瘡や皮膚トラブルの確認。

そして本人自身の快適さ。
 

特に高齢者は皮膚が弱くなっている場合もあり、清潔を保つことと身体状態を確認することは密接につながっています。

つまり入浴は、単に「身体をきれいにする時間」ではないのです。
 


排せつの問題ともつながっていた

第4回では、父母の排せつについて書きました。

排せつ後には、皮膚の状態を確認する必要がある。

清潔を保たなければ、皮膚がただれてしまう可能性もある。
 

そう考えると、排せつと入浴も別々の問題ではありません。
 

排せつ。

清潔保持。

皮膚状態。

着替え。

入浴。
 

すべてが生活の中でつながっています。
 

介護が始まる前の私は、
 

「トイレの介助」

「入浴介助」

「服薬管理」
 

と、一つひとつを別々の介護としてイメージしていました。
 

でも実際には、一つの問題が次の問題につながっています。

これもまた、「想定外の介護」でした。
 


在宅介護なら、誰がその働きかけをするのか?

ここで私は、また自宅介護に置き換えて考えてしまいます。
 

もし父が自宅にいて、「今日は入らない」と言ったら...。
 

誰が声をかけるのか?

一度断られたら、時間を置いてもう一度勧めるのか?

強く言わずに、どう気持ちを向けてもらうのか?
 

家族が仕事から帰ってきた夜に、「さあ、お風呂に入ろう」と言っても、その時には父が疲れているかもしれません。
 

翌朝なら、家族は仕事があります。

介護は、「身体を洗えば30分」という単純な時間計算ではできないのです。
 

本人が動く気持ちになるまでの時間も、介護の時間になることがあります。
 


介護では「拒否」が起こることがある

入浴だけではありません。
 

介護では、
 

薬を飲みたくない。

病院へ行きたくない。

デイサービスへ行きたくない。

ヘルパーを家に入れたくない。

施設には入りたくない。
 

そんな「嫌だ」が起こることがあります。
 

家族からすれば、「本人のためなのに...」と思います。
 

でも本人には、本人なりの理由があります。
 

そして、「本人にとって必要なことと、本人がやりたいことが一致するとは限らない。」

ここに介護の難しさがあります。
 


「お風呂くらい」と思っていた

私は父の入浴の話を聞くまで、入浴がそれほど大きな介護問題になるとは考えていませんでした。
 

身体を支える。

浴室で転ばないよう見守る。
 

そうした身体介助は想像していました。
 

でも、「そもそも、お風呂に入ってもらえない」という段階があることまでは、考えていませんでした。
 

しかも、対応の仕方によって本人の反応が変わる。

これは、介護技術だけではなく、人との関わりそのものです。
 


施設の方の「見えない介護」

家族が面会に行った時、父が清潔な服を着て、普通に座っている。
その姿を見れば、「ちゃんと過ごせている」と思います。
 

でも、その姿になるまでには、
 

排せつへの対応。

着替え。

服薬。

食事。

入浴。

本人への声かけ。
 

さまざまな支援があります。
 

そして、その多くを家族は見ていません。
 

今回、施設の方から父の入浴について教えていただいたことで、私は、「家族には見えない介護が、毎日の生活の中にたくさんある」ことに改めて気づきました。
 


想定外の介護は「できなくなる」だけではない

介護というと、
 

歩けなくなる。

トイレに行けなくなる。

薬を管理できなくなる。
 

そうした「できなくなること」を想像します。
 

しかし、
 

本人が嫌がる。

拒否する。

納得してくれない。

ということもあります。
 

身体的にはできる。でも、本人がやりたくない。

これも、介護では大きな問題になります。
 

だから、
 

「まだ歩けるから大丈夫」

「自分で身体を洗えるから大丈夫」
 

それだけでは分からないことがあります。
 


「うちの親なら大丈夫」と思っていても

元気な親に「将来、お風呂に入りたくないって言い出すかもしれないね」と話しても、「そんなことはない」と笑われるかもしれません。

本人も、今はそう思っているでしょう。
 

でも、

高齢になる。

病気になる。

身体が思うように動かなくなる。

認知機能が変化する。
 

そうすると、本人の感じ方や行動が変わることがあります。
 

今の親を見て、「うちの親なら大丈夫」と思っていても、介護が必要になった時にも同じとは限りません。

私は父母を見ながら、そのことを何度も感じています。
 


介護は「やってあげれば終わる」ものではなかった

第4回では排せつ。

第5回では、治療の影響で退院後の生活が変わったこと。

第6回では、朝は普通だった父が数時間後に緊急搬送されたこと。
 

そして今回の入浴拒否。
 

内容はまったく違います。

でも、一つ共通しています。
 

私が事前に想像していた介護よりも、実際の介護はずっと複雑だったということです。
 

介護者が何かを「やってあげる」。

それだけでは終わりません。
 

本人がどう感じるか?

受け入れてくれるか?

その日の体調はどうか?

昨日うまくいった方法が、今日もうまくいくか?
 

その都度変わります。
 

これもまた、介護は一つの出来事ではなく、想定外が次々と起こるものだと感じる理由です。
 


この連載で伝えたいのは、「介護は怖い」ということではありません。「そんなこともあるのか...」と知っていただくことです。
 

知らなければ、起きた時に驚きます。
 

私自身がそうでした。
 

「お風呂に入る」

という、ごく普通の日常の中にも、介護の想定外はあります。
 

親が今、元気に自分でお風呂に入っているうちは、なかなか想像できないことかもしれません。
 

だからこそ、元気な今のうちに、「介護って、こういうことまで起こるんだ」と知っておくことにも意味があるのではないでしょうか?
 

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親が倒れる前の介護準備チェックシートはこちらから
 

▼親の介護や介護準備が気になっている方はこちらをご覧ください。

2026年08月26日 19:29

見るだけでも、拍手だけでも楽しめる―敬老会で大切にしたい「参加のかたち」

連載⑫

レクが変わると、施設が変わる。

介護施設では、日頃から職員の皆さまが、利用者様一人ひとりの状態や好みを考えながら、さまざまなレクリエーションを工夫されていることと思います。
 

「今日はどんなことなら楽しんでいただけるだろう。」

「普段あまり参加されない方にも、無理なく楽しんでもらうにはどうしたらいいだろう。」

「せっかくの敬老会だから、皆さんに良い時間を過ごしていただきたい。」
 

そんなことを考えながら企画されている施設も多いのではないでしょうか?
 

私自身、介護施設のレクリエーションについて考える中で、改めて大切だと感じることがあります。
 

それは、「参加する」ということには、いろいろな形があっていいのではないか?ということです。
 

今回は、敬老会という特別な機会を前に、皆さまと一緒に「参加のかたち」について考えてみたいと思います。
 


同じレクでも、楽しみ方は一人ひとり違う

介護施設には、さまざまな利用者様がいらっしゃいます。
 

歌がお好きな方。

身体を動かすことがお好きな方。

人前に出ることが好きな方。

反対に、大勢の中では少し控えめに過ごしたい方。
 

その日の体調によって、いつもとは違う過ごし方をされる方もいらっしゃるでしょう。
 

職員の皆さまは、日頃からそうした違いを見ながら、その方に合った声かけや関わりをされていると思います。
 

だからこそ、敬老会のように多くの方が一緒に過ごす場でも、「みんなが同じことをする」ことだけが参加ではないと考えてもよいのではないでしょうか?


見ていることも、立派な「参加」かもしれない

たとえば、何か楽しい催しが始まったとします。
 

積極的に体験される方もいる。

手拍子をされる方もいる。

笑顔で眺めている方もいる。

隣の職員に「すごいね」と話しかける方もいる。
 

一見すると「見ているだけ」に見える方でも、表情が変わったり、周りの人との会話が生まれたりすることがあります。
 

そう考えると、
 

見ること。
拍手すること。
笑うこと。
誰かと気持ちを共有すること。

 

これらも、その方なりの大切な参加なのだと思います。
 

何かを「できたかどうか」だけではなく、その時間をどう感じていたか?にも目を向けてみる。

そんな見方があってもよいのではないでしょうか?
 


「やってもらう」より、「楽しみ方を選べる」レクへ

敬老会だからこそ、できるだけ多くの利用者様に楽しんでいただきたい。

これは、多くの施設に共通する思いだと思います。
 

そのために一つ考えられるのが、参加方法を一つに決めすぎないことです。
 

たとえば、
 

しっかり参加して楽しむ。

できる範囲で少し体験してみる。

拍手や手拍子で加わる。

座ったまま眺める。

職員と一緒に楽しむ。

途中から興味を持って参加する。
 

どれも、その方にとっての参加です。
 

「全員参加」を、「全員が同じことをすること」ではなく、「それぞれが自分なりの形で、その時間に関われること」と捉えてみると、敬老会の企画にも少し違った可能性が見えてくるように思います。
 


職員と一緒だから、安心して楽しめることもある

利用者様にとって、普段から関わっている職員の存在はとても大きいと思います。
 

初めて見るものに少し戸惑っているとき。

普段とは違うイベントで緊張しているとき。
 

隣に顔なじみの職員がいて、
 

「面白いですね」と声をかけてくれる。

一緒に拍手をしてくれる。

笑顔で楽しんでいる。
 

それだけで、安心してその場にいられる方もいらっしゃるのではないでしょうか?
 

だから私は、敬老会では、「職員の皆さま自身が、利用者様のそばで一緒に楽しめる時間があること」も、とても大切だと感じています。
 

企画や進行に追われるだけではなく、利用者様の表情をゆっくり見られる。

いつもとは違う反応に気づける。
 

それも、特別なイベントだからこそ生まれる時間なのではないでしょうか?
 


「見る楽しさ」があることは、外部レク選びでも大切

敬老会で外部レクリエーションを検討する場合も、施設によって重視するポイントはさまざまだと思います。
 

安全性。

費用。

会場条件。

準備負担。

そして、利用者様との相性。
 

その中に一つ加えるとすれば、「積極的に参加しなくても楽しめるか?」という視点もあると思います。
 

自分から体験したい方は参加できる。

少し迷っている方は、まず見ていられる。

見ているうちに興味が出たら、少し加わることもできる。

その日の気分に合わせて、参加の深さを自分で選べる。
 

そうしたプログラムであれば、利用者様それぞれのペースを大切にしながら、同じ時間を共有しやすくなります。
 


室内サーカスにも、いろいろな楽しみ方があります

私が介護施設向けにご紹介している室内サーカス型レクリエーションにも、このような特徴があります。
 

サーカスというと、「ショーを見るもの」という印象を持たれるかもしれません。
 

でも、高齢者施設向けのプログラムでは、
 

ショーを見る。

拍手をする。

笑う。

道具に触れてみる。

できそうなら少し体験してみる。
 

といったように、さまざまな楽しみ方があります。
 

大切にしているのは、「全員に同じことをしていただくことではなく、それぞれの方が無理のない方法で楽しめること。」
 

室内サーカスがすべての施設に合うとは限りません。
 

ただ、「見る楽しさ」と「参加する楽しさ」の両方があることは、さまざまな状態の利用者様が一緒に過ごす敬老会では、一つの選択肢になり得るのではないかと思っています。
 


敬老会で大切にしたいのは、「何をするか?」だけではない

敬老会を企画するとき、「今年は何をやろう?」という話になるのは、とても自然なことです。
 

歌。

演奏会。

ゲーム。

食事会。

マジック。

サーカス。
 

どれも素敵な選択肢です。
 

ただ、企画を考えるときに、もう一つこんな問いがあってもよいのではないでしょうか?
 

「利用者様一人ひとりに、どんな時間を過ごしていただきたいだろう?」
 

積極的に楽しむ方もいる。

静かに見守る方もいる。

職員と一緒に笑う方もいる。
 

そのすべてを含めて、「今日は楽しかったね」と思える時間になれば、それがその施設らしい敬老会になるのではないでしょうか?
 


敬老会を考えるときの「5つの視点」

今年の企画を考える際に、こんな視点も参考になるかもしれません。

1.見るだけでも楽しめる時間になっているか?

積極的な参加が難しい方も、その場を楽しめそうでしょうか?

2.参加方法にいくつかの選択肢があるか?

体験する、拍手する、見るなど、その方なりの関わり方ができそうでしょうか?

3.その日の体調や気分に合わせられるか?

途中参加や見学でも、無理なく過ごせるでしょうか?

4.職員も利用者様のそばで楽しめるか?

運営だけでなく、一緒にその時間を共有できそうでしょうか?

5.「その人らしい楽しみ方」を大切にできるか?

全員同じではなく、一人ひとり違う楽しみ方を受け止められるイベントになっているでしょうか?
 

どれも、現場ではすでに大切にされていることかもしれません。

それでも、敬老会の企画を考える時期に改めて振り返ってみることで、新しいアイデアにつながることもあるのではないかと思います。
 


「秋の施設イベント30分無料相談」のご案内

今年の敬老会や秋のイベントについて、
 

「利用者様それぞれに楽しんでいただける内容を考えたい」

「いつもとは少し違う時間をつくってみたい」

「職員の準備負担とのバランスも考えたい」
 

そんな施設様と一緒にイベントを考える、

秋の施設イベント30分無料相談

を行っています。
 

施設の規模や利用者様の状況、会場、ご予算、これまでのイベントなどをお聞きしながら、「今年はどんな時間をつくれそうか?」を一緒に整理します。
 

室内サーカスを前提としたご相談ではありません。
 

施設の皆さまがこれまで大切にしてきたレクリエーションやイベントの考え方も伺いながら、必要であれば外部レクを含めた選択肢をご一緒に考えます。
 

キャリア&ライフプラントータルサポート
代表 山岸 博幸
TEL:090-3903-8408
HP:
https://career-life.org/
 


次回予告

第13回は、

なぜ高齢者施設の特別イベントと「室内サーカス」は相性がいいのか?

をテーマにお届けします。
 

第9回から、敬老会の企画、外部レクの選び方、費用対効果、そして今回の「参加のかたち」について考えてきました。
 

次回は、そうした視点から、室内サーカスにはどのような特徴があり、どんな施設イベントで活かせそうなのかを具体的に考えてみたいと思います。
 

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2026年08月25日 15:35

第8回 「言いたいのに、うまく言葉にならないとしたら...」

第8回

「痛い」「助けて」が伝えにくくなることがある

「あの...」

「えっと...」
 

何かを伝えようとしている。

でも、その先の言葉が出てこない。
 

家族が、
 

「何?」

「どうしたの?」
 

と聞いても、うまく答えられない。
 

本人は何かを指さしたり、落ち着かない様子を見せたりする。
 

そんな場面に出会ったことはないでしょうか?
 

周囲から見ると、
 

「何を言いたいのか分からない」

「話が通じなくなった」
 

と感じるかもしれません。
 

でも、今回も少し視点を変えて考えてみたいと思います。
 

もし、「自分の中には伝えたいことがあるのに、それを表す言葉だけが見つからなかったとしたら...。」

私たちの世界は、どのように感じられるのでしょうか?
 

私たちは、言葉に支えられて暮らしている

「お腹がすいた」

「のどが渇いた」

「ここが痛い」

「寒い」

「怖い」

「トイレに行きたい」

「今日は行きたくない」

「少し休みたい」
 

私たちは毎日、自分の状態や気持ち、希望を言葉で周囲に伝えています。
 

あまりに自然なことなので、普段はそのありがたさを意識することもありません。
 

ところが認知症の状態によっては、言葉が出にくくなったり、伝えたい言葉をうまく選べなくなったり、相手の言葉を理解しにくくなったりすることがあります。
 

もちろん、すべての認知症のある方に同じことが起こるわけではありません。
 

大切なのは、「言葉が出ない=伝えたいことがない」ではないということです。
 

頭の中にはある。でも、言葉が見つからない

例えば、目の前にコップがある。

何に使う物なのかは分かっている。
 

水が飲みたい。
 

でも、
 

「水」

「コップ」

「飲みたい」
 

という言葉がうまく出てこない。
 

そこで、
 

「あれ...」

「それ...」

「ほら...」
 

という言葉だけになる。
 

周囲からすると、「何のこと?」となってしまいます。
 

本人も、
 

「違う」

「そうじゃない」
 

と思っているのに、どう説明したらいいのか分からない。
 

これは、とてももどかしいことではないでしょうか?
 

もし「痛い」が言えなかったら?

もう一つ想像してみてください。
 

あなたのお腹が痛い。

でも、「お腹が痛い」という言葉が出てこない。
 

周囲の人は、「どうしたの?」と聞いてくる。
 

答えたい。

でも答えられない。
 

痛みは続く。

だんだん不安になる。

落ち着かなくなる。

立ったり座ったりする。

イライラする。

誰かの手を振り払う。
 

周囲から見れば、
 

「今日は機嫌が悪い」

「落ち着きがない」

「怒っている」
 

と見えるかもしれません。
 

でも、その行動の向こうに、「痛いのに、うまく伝えられなくて困っている」という本人がいる可能性もあります。
 

だからこそ、行動だけを見て決めつけないことが大切なのだと思います。
 

「どうしたの?」だけでは答えにくいこともある

私たちは何か困っている人を見ると、「どうしたの?」と聞きます。

とても自然な問いかけです。
 

けれど、言葉を組み立てることが難しくなっている人にとって、「どうしたの?」という質問は意外に難しい場合があります。
 

何が起きているのかを整理する。

必要な言葉を探す。

文章としてまとめる。

相手に伝える。
 

一つの質問に答えるまでにも、いくつもの作業が必要だからです。
 

そんなときは、
 

「お水が飲みたいですか?」

「ここが痛いですか?」

「トイレに行きたいですか?」

「少し休みますか?」
 

というように、選びやすい形にしてみる方法もあります。
 

さらに、
 

指さし

表情

視線

しぐさ
 

いつもと違う行動なども、本人を理解するヒントになります。
 

言葉以外にも「伝える方法」はある

私たちはコミュニケーションというと、つい「会話」を考えます。
 

でも、人は言葉だけで気持ちを伝えているわけではありません。
 

笑顔。

眉間のしわ。

手を握る。

指をさす。

顔をそむける。

ある場所を何度も見る。

何かを探している。
 

こうした様子にも、その人の気持ちを理解する手がかりがあります。
 

だから、「話せなくなったから、分からない」で終わらせず、「この人は、何を伝えようとしているのだろう?」と考えてみる。
 

そこからコミュニケーションが始まることもあります。
 

急がせられると、さらに言葉が出にくくなる

言葉がなかなか出てこないと、家族としては、つい先回りしたくなります。
 

「お茶でしょ?」

「トイレに行きたいんでしょ?」

「もういいから、私がやるね」
 

忙しい日常の中では、それも当然のことです。
 

けれど、本人がまだ言葉を探している途中かもしれません。
 

少し待つ。

表情を見る。

指さしたものを見る。

「これですか?」と確認する。
 

そのわずかな時間が、本人にとっては、「自分の話を聞いてもらえている」という安心につながることがあります。
 

「子ども扱いしない」ことも大切

言葉がうまく出なくなっても、その人が歩んできた人生までなくなるわけではありません。
 

長年仕事をしてきた人。

家族を育ててきた人。

地域で活動してきた人。
 

好きなことや嫌いなこと、誇りに思ってきたことがあります。
 

だから、言葉が出にくいからといって、必要以上に子どもに話しかけるような口調にしたり、本人を飛び越えて家族だけで話を進めたりするのではなく、まず本人に向き合う。
 

一人の大人として、その人を尊重する。
 

これも大切なことだと思います。
 

家族が「分かってあげられない」と自分を責めなくていい

一方で、家族にとっても「何を言いたいのか分からない」という状況は大きな負担になります。
 

何度聞いても分からない。

本人もイライラする。

家族も疲れてしまう。
 

そんなこともあるでしょう。
 

いつでも本人の気持ちを完璧に理解できるわけではありません。
 

大切なのは、全部分かってあげなければならない、と考えすぎないこと。
 

「今は分からないけれど、一緒に考えてみよう」
 

そんな姿勢だけでもよいのではないでしょうか。
 

行動の変化には、体調の確認も忘れずに

ここで一つ、とても大切なことがあります。
 

「言葉でうまく伝えられないからだろう」と、すべてを認知症だけで説明しないことです。
 

急に様子が変わった。

強い痛みがありそう。

食事や水分が取れない。

いつもと明らかに違う。
 

こうした場合には、体調不良など別の原因がないか確認することも必要です。
 

特に、突然言葉が出なくなった、ろれつが回らなくなった、顔や手足に麻痺が出たといった急な変化は、脳卒中など緊急性のある病気の可能性もあるため、速やかな医療機関への相談が必要です。
 

「認知症だから」と決めつけないこと。
 

これも本人を理解するうえで、とても大切な視点です。
 

「何を言っているのか分からない」から、「何を伝えたいんだろう?」へ

第6回では、「見えているのに、見つけられない世界」

第7回では、「時間が分からない世界」

を旅してきました。
 

そして今回は、「伝えたいのに、言葉にならない世界」です。
 

周囲から見ると、
 

「分からない」

「話が通じない」
 

と感じることがあります。
 

でも本人側から見れば、「伝えたいのに、伝えられなくて困っている」のかもしれません。
 

そこで問いを少し変えてみます。
 

「何を言っているの?」

ではなく、「何を伝えたいんだろう?」へ。
 

その小さな視点の変化が、本人とのコミュニケーションを変えていくきっかけになるのではないでしょうか?
 

次回は「情報が多すぎる世界」を旅してみます

駅。

スーパー。

病院。

ショッピングセンター。

たくさんの人。

たくさんの音。

たくさんの案内表示。
 

私たちにとって便利な場所も、情報を整理することが難しくなった人には、まったく違う世界に見えるかもしれません。
 

次回、第9回は、「もし、音や人や情報が多すぎる場所に迷い込んだら?」をテーマに、一緒に考えてみたいと思います。
 

9月27日、「認知症世界」を一緒に旅してみませんか?

この連載では、「認知症世界の歩き方」をヒントに、本人には、この世界がどのように感じられているのだろう?

ということを一緒に考えています。
 

9月27日には、「認知症世界の歩き方」公認ファシリテーター(旅のガイド)として、実践ワークショップを開催します。
 

読むだけではなく、参加者同士で考え、話し合いながら、「本人から見えている世界」を一緒に旅してみませんか?
 

ご家族に認知症のある方、医療・介護・福祉関係者、地域で認知症について考えてみたい方、そして今はまだ自分には関係ないと思っている方にも、ぜひご参加いただければと思います。
 

▼「認知症世界の歩き方」実践ワークショップ
https://ninchishousekai.peatix.com/

※認知症の症状や困りごとの現れ方には個人差があります。本記事は、すべての認知症のある方に同じ状態が起こるという意味ではありません。

2026年08月23日 17:14

【第6回】地域包括支援センターは、介護が始まってから行く場所ではありません

第6回

さいたま市で親の介護が心配になったら読む話

急な入院・介護で家族が慌てないためのやさしい準備

「地域包括支援センターって、介護が必要になった人が行くところですよね?」

そう思っている方は、意外と多いのではないでしょうか?
 

親はまだ一人で暮らしている。
買い物にも行けている。
介護認定も受けていない。
 

でも、
 

「最近ちょっと物忘れが増えた気がする」
「足腰が弱ってきたかな」
「離れて暮らしているので少し心配」
「この先、何かあったらどうすればいいんだろう」
 

そんな漠然とした不安が出てくることがあります。
 

実は、こうした「まだ介護ではないけれど、ちょっと心配」な段階から知っておいてほしい相談先があります。

それが、地域包括支援センターです。
 

さいたま市では「シニアサポートセンター」という名称で、地域の高齢者やそのご家族などの身近な相談窓口として設置されています。

「何を相談したらいいか分からない」でも大丈夫

相談というと、「困っていることをきちんと説明できないといけない」と思ってしまうかもしれません。
 

でも、親の介護について考え始めたばかりの時は、「何に困っているのか、自分でもよく分からない」ということもあります。
 

たとえば、
 

「最近、親の様子がなんとなく気になる」

「同じ話を何度もするようになった」

「一人暮らしを続けさせて大丈夫なのかな」

「介護保険という言葉は知っているけど、仕組みが分からない」

「親のことを誰に相談すればいいのか分からない」
 

これでも十分です。
 

さいたま市も、シニアサポートセンターについて、必要としている支援が明確になっていなくても問題なく、「困っていること」「不安なこと」「分からないこと」があれば相談してほしいと案内しています。
 

これはぜひ、多くのご家族に知っていただきたいことです。

さいたま市では「シニアサポートセンター」

「地域包括支援センター」という名前は少し堅く感じるかもしれません。

さいたま市では、2013年4月から「シニアサポートセンター」という愛称が使われています。
介護保険法に定められた、公的な高齢者の総合相談窓口です。
 

現在、さいたま市内には27か所設置され、それぞれ担当する地域が決められています。
 

そこでは、介護だけでなく、

  • 福祉

  • 医療

  • 介護予防

  • 認知症

  • 日常生活の困りごと

  • 高齢者の権利を守るための相談

  • 家族介護者への支援

など、幅広い相談に対応しています。
 

専門知識を持ったスタッフが、必要に応じて医療機関や介護事業所などとも連携しながら支援してくれます。

令和8年度 さいたま市地域包括支援センター情報

たとえば、こんな時に相談できます

さいたま市が公式に紹介している相談例には、次のようなものがあります。
 

「最近、同居している親の物忘れが増えて不安」

「要介護認定を受けたいけれど、どうすればいいか分からない」

「外出する機会が減ってきたので、近所の体操教室を知りたい」

「日常生活で困ることが増えてきた」

「介護保険の制度やサービスについて知りたい」

「地域で参加できる活動を探したい」
 

つまり、「介護サービスを使いたい人」だけの場所ではありません。
 

むしろ、「このままで大丈夫かな?」と家族が感じ始めた時から知っておくとよい場所なのです。

介護が始まってから探すと、家族には余裕がない

第3回、第4回でもお伝えしてきましたが、親の状況は突然変わることがあります。
 

転倒する。

救急搬送される。

急に入院する。

認知症が進んで一人暮らしが難しくなる。
 

そんな時、家族はすぐにいろいろな判断を求められます。
 

仕事をどうするか?

退院後の生活はどうするか?

介護保険はどう申請するか?

誰が親を支えるのか?

家族だけで対応できるのか?
 

こうなってから初めて、「地域包括支援センターってどこ?」と調べるより、元気なうちに、自分の親を担当する地域包括支援センターを知っておく。

それだけでも、いざという時の安心感は違います。

「相談する」=「すぐ介護サービスを使う」ではありません

早めに相談することをためらう理由の一つに、「一度相談したら、介護の話がどんどん進んでしまうのでは」という心配もあるかもしれません。

でも、相談することと、すぐに何かを決めることは別です。
 

まず、
 

「今はどのくらい心配する状態なのか?」

「どんな選択肢があるのか?」

「今のうちに何をしておけばよいのか?」
 

を知る。

それだけでも意味があります。
 

私は、介護準備で大切なのは、「困ってからサービスを探す」ことだけではなく、「困った時に相談できる場所を先に知っておく」ことだと思っています。

家族だけで答えを出そうとしなくていい

親のことだからこそ、家族は悩みます。
 

「まだ大丈夫だと思う」

「いや、そろそろ誰かに相談した方がいい」
 

兄弟の間でも意見が違うことがあります。
本人自身が、「私は何も困っていない」と言うこともあるでしょう。
 

そんな時に、家族だけで正解を出そうとすると疲れてしまいます。

地域包括支援センターのような第三者に相談することで、「今すぐ介護という段階ではない」と分かることもあるでしょうし、逆に、「早めに専門機関につないだ方がよい」と気づくこともあります。
 

大切なのは、家族だけで抱え込まないことです。

相談は無料。電話からでも大丈夫です

さいたま市のシニアサポートセンターは、相談を無料で利用できます。

電話や窓口などで相談でき、住んでいる地域によって担当センターが決まっています。
さいたま市の公式ページには、住所から担当センターを確認できる案内もあります。
 

なお、2026年4月から開所日は原則として、年末年始を除く平日・土曜日(祝日を含む)となり、日曜日は休業となっています。
開所時間はセンターによって異なるため、まず電話で確認するのがおすすめです。
 

「こんなことで電話していいのかな」と思う必要はありません。
 

市の公式案内にも、
 

「自分のこと」
「家族のこと」
「近所の方のこと」
 

についての悩みや疑問を相談できると明記されています。

私も「地域包括につながる前段階」をお手伝いしたい

一方で、
 

「地域包括に相談するほどなのか、自分でも分からない」

「親の状況をうまく説明できない」

「家族として、まず何を整理したらよいのか分からない」
 

という方もいらっしゃると思います。
 

私は、さいたま市で、そんな「介護準備・終活の“前段階の整理をお手伝い」していきたいと考えています。
 

親の状況を一緒に整理する。

家族が心配していることを言葉にする。

親にどう話を切り出すかを考える。
 

そして、公的な支援が必要なら地域包括支援センターなど適切な相談先につなぐ。

私自身がすべてを解決するのではなく、「必要な支援につながりやすくするための整理役」として、地域の中でお役に立てればと思っています。

今日からできる小さな一歩

今回、ぜひやっていただきたいことは一つです。
 

「親の住んでいる地域を担当するシニアサポートセンターを調べてみる」ことです。
 

今すぐ電話をしなくてもかまいません。
 

名前を知る。

場所を知る。

電話番号をスマートフォンに登録しておく。
 

それだけでも立派な介護準備です。
 

親の介護は、ある日突然始まることがあります。
 

その時、「どこに相談したらいいんだろう」から始めるのではなく、「あそこに相談してみよう」と言えるだけで、家族の安心感は変わります。
 

地域包括支援センターは、介護が始まってから行く場所ではありません。

「少し心配だな」と感じた時から知っておいてよい場所です。
 

介護を家族だけで抱え込まないためにも。

親も子も、できるだけ安心して暮らしていくためにも。
 

まずは、自分の地域の相談先を知るところから始めてみませんか?
 

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2026年08月21日 14:23

第7回「時間が分からない世界」で暮らすということ――「あとで」「さっき」「10時」があいまいになる

第7回

「今、何時?」そう聞かれて、「10時だよ」と答える。
 

しばらくすると、また、「今、何時?」と聞かれる。
 

「さっき言ったでしょう」
 

家族としては、ついそう言いたくなるかもしれません。
 

また、「病院は10時だから、あとで行こうね」と伝えたのに、何度も、「もう行くの?」「今日は病院じゃなかった?」と確認される。

こうした場面もあるかもしれません。
 

でも今回は、「どうして覚えていないの?」ではなく、少し違う方向から考えてみたいと思います。
 

もし、自分にとって当たり前だった「今」「さっき」「あとで」「明日」という時間のつながりが、だんだん分かりにくくなったら...。

私たちの毎日は、どんな世界に見えるのでしょうか?
 


私たちは、想像以上に「時間」に支えられて暮らしている

朝起きる。

時計を見る。
 

「7時だから、そろそろ朝食にしよう」と思う。

12時になれば昼食。

夕方になれば、「そろそろ夕飯の時間だ」と感じる。
 

病院の予約が10時なら、9時30分には家を出ようと考える。
 

私たちは毎日、時計・カレンダー・予定・過去の記憶をつなぎ合わせながら生活しています。
 

ところが、それをあまり意識することはありません。
 

「10時」

「明日」

「30分後」
 

という言葉を聞けば、その意味を自然に理解できるからです。
 

でも、もしその感覚が曖昧になったらどうでしょう?
 


「あとでね」と言われても、「あと」が分からない

例えば家族から、「あとで一緒に買い物に行こうね」と言われたとします。

私たちなら、「今すぐではない」ということが分かります。
 

そして、「少し待っていれば、そのうち行くのだろう」と考えられます。

ところが、「あとで」という時間の感覚が分かりにくかったら?
 

5分後なのか?

30分後なのか?

夕方なのか?

明日なのか?
 

本人にとっては、とても曖昧な言葉になるかもしれません。
 

その結果、「買い物はまだ?」「いつ行くの?」と何度も聞く。

周囲から見ると、「何度も同じことを聞いてくる」という行動に見えます。
 

でも本人側から見ると、「いつなのか分からなくて、不安になっている」のかもしれません。
 


「さっき」が、どのくらい前なのか分からない

私たちは普段、
 

「さっき食べたでしょう」

「さっき薬を飲んだよ」

「さっき説明したよ」
 

という言葉をよく使います。
 

でも、「さっき」とは何分前でしょうか?
 

5分前?

30分前?

1時間前?
 

実はかなり曖昧な言葉です。
 

私たちは出来事の記憶と時間の感覚を組み合わせて、「ああ、あのことね」と理解しています。

もしそのつながりが弱くなっていたら、「さっき言ったでしょう」と言われても、本人にとっては、「さっきって、いつのこと?」なのかもしれません。
 


「10時」が分かっても、10時までの距離が分からない

「今日は10時に病院ですよ」

時計を読むことができれば、それだけで予定を理解できるように思えます。
 

でも、
 

今が8時30分で、

10時まであと1時間30分あり、

9時30分になったら家を出る。
 

この一連の流れには、実はいくつもの判断が必要です。
 

だから本人が、「もう病院に行かなくていいの?」と何度も確認したとしても、単純に「予定を忘れた」とは限りません。

本人の中では、「現在と未来の時間がうまくつながっていない」のかもしれないのです。
 


もし自分が「時間のない世界」にいたら?

少し想像してみましょう。
 

あなたは知らない場所にいます。

時計があります。
 

でも、その時間が何を意味するのかよく分からない。
 

「10時に出発します」と言われた。

けれど、今からどのくらい待てば10時になるのか感覚がつかめない。
 

誰かに、「あとで迎えに来ます」と言われた。

でも、その「あとで」がいつなのか分からない。
 

待っても来ないように感じる。

不安になる。
 

もう一度聞く。
 

すると、「さっき言ったでしょう」と言われる。

もし自分だったら、どう感じるでしょうか。
 

きっと、「何度も聞いて申し訳ない」というより前に、
 

「分からない」
「不安だ」
「置いていかれたらどうしよう」

 

という気持ちになるのではないでしょうか?
 


「何度言えば分かるの?」ではなく、「分かる形」を探してみる

では、私たちはどう関わればよいのでしょうか?
 

大切なのは、「本人を時間に合わせようとするだけではなく、時間を分かりやすくする工夫を考えてみること」だと思います。
 

例えば、「あとで病院へ行くよ」だけではなく、「昼ごはんを食べたら病院へ行きます」と伝える。
 

「10時に出発するよ」だけではなく、「この時計の針がここに来たら出発します」と視覚的に示す。

予定を紙やホワイトボードに書いて、本人と一緒に確認する。
 

「さっき言ったでしょう」と過去を確認するより、

「大丈夫。今日は10時に病院ですよ」
 

と、今必要な情報を改めて伝える。
 

もちろん、すべての方に同じ方法が有効なわけではありません。

その人が分かりやすい方法を、一緒に探していくことが大切です。
 


「同じ質問」の後ろにある気持ちを見る

認知症のある方が同じ質問を繰り返すと、家族にとって負担になることもあります。
 

毎日何度も同じことを聞かれれば、いつも穏やかに答えられるとは限りません。
 

だから、「家族は何度でも優しく答えなければならない」という話ではありません。

家族にも生活があり、疲れることもあります。
 

ただ、「なぜ同じことを聞くのだろう?」というときに、
 

「覚えていないから」だけではなく、
「時間が分からず不安なのかもしれない」

 

という見方を一つ持っておく。

それだけでも、目の前の行動の見え方が少し変わることがあります。
 


私たちの「当たり前」を一つずつ外してみる

前回は、「見えているのに、見つけられない世界」について考えました。

今回は、「時間が分からない世界」です。
 

「見れば分かる」

「時計を見れば分かる」

「さっき言ったから分かる」

「10時と言えば分かる」
 

私たちは、自分たちの「当たり前」を基準に相手を見てしまいがちです。
 

でも、「本人にとっては、今この世界がどう見えているのだろう?」と一度想像してみる。

すると、「困った行動」だと思っていたものの向こう側に、「困っている本人」が見えてくることがあります。
 


「いつ?」と聞かれたら、その人の世界を想像してみる

「今、何時?」

「今日は何日?」

「病院はいつ?」
 

同じことを何度も聞かれたとき。

もちろん、毎回理想的な対応ができるわけではありません。
 

それでも、「また同じことを聞いている」だけで終わらず、「この人には今、時間がどう感じられているのだろう?」と想像してみる。

それが、「認知症世界」を理解するための小さな一歩なのだと思います。
 


次回は「言いたいのに、うまく言葉にならない世界」へ

私たちは、
 

「痛い」

「怖い」

「嫌だ」

「トイレに行きたい」

「助けてほしい」
 

と、言葉を使って自分の状態を伝えています。
 

ではもし、「伝えたいことはあるのに、それをうまく言葉にできなくなったら?」周囲には、その人の行動がどう見えるでしょうか?


次回、第8回は、「言いたいのに、うまく言葉にならないとしたら...。」

をテーマに、一緒に「認知症世界」を旅してみたいと思います。
 


9月27日、「読む旅」から「体験する旅」へ

この連載では、「認知症世界の歩き方」をヒントに、認知症のある方には、世界がどのように感じられているのだろう?

ということを考えてきました。
 

9月27日には、「認知症世界の歩き方」公認ファシリテーター(旅のガイド)として、実践ワークショップを開催します。
 

知識を一方的に学ぶだけではなく、参加者同士で考え、対話しながら、「本人から見えている世界」を旅してみる時間です。

認知症のあるご家族がいる方はもちろん、医療・介護・福祉関係者、地域で認知症について考えたい方、そして「今はまだ自分には関係ない」と感じている方にも、ぜひ体験していただきたいと思っています。
 

▼「認知症世界の歩き方」実践ワークショップ
https://ninchishousekai.peatix.com/

※認知症の状態や感じ方、困りごとの現れ方には個人差があります。本記事は、認知症のあるすべての方に同じことが起こるという意味ではありません。

2026年08月19日 15:25

【第3回】親4人、自分たち夫婦2人――最大6人の介護をどう考えるか?

第3回

全20回連載 「老後資金を増やす前に 介護で失わない家計のつくり方」

親の介護、自分たちの介護、仕事とお金――50代・60代が今から考えたい20の現実

親の介護が終われば、介護の問題は終わるのでしょうか?

前回の記事では、
 

自分の父親・母親。
配偶者の父親・母親。
 

夫婦で考えれば、最大4人の親について介護が必要になる可能性がある、というお話をしました。
 

しかし、50代・60代のライフプランを考えるときには、もう少し先まで見ておく必要があります。
 

なぜなら、親の介護の先には、「自分自身の介護」そして、「配偶者の介護」が待っている可能性があるからです。
 

つまり、
 

・自分の父
・自分の母
・配偶者の父
・配偶者の母
・自分
・配偶者
 

まで含めると、人生後半の介護について考える対象は、最大6人になります。
 

もちろん、6人全員に介護が必要になるという意味ではありません。
ましてや、6人分の介護費用を自分たち夫婦が準備しなければならない、という話でもありません。
 

私がお伝えしたいのは、「親の介護」と「自分たちの老後」を別々に考えないこと。

親の介護から自分たち夫婦の介護までを、一つの時間軸で見渡しておくことが大切だということです。
 

50代・60代は「介護する側」と「自分の老後を準備する側」が重なる

50代・60代という年代は、少し特殊な時期だと思います。
 

親は70代、80代、90代になり、病気や介護のリスクが高くなっていきます。
 

一方で自分自身も、
 

・定年
・再雇用
・役職定年
・収入の減少
・住宅ローン
・老後資金
・年金
・これからの働き方
 

といった問題を考えなければなりません。
 

つまり、「親を支える時期」と、「自分たちの老後を準備する時期」が重なっているのです。
 

ここを別々に考えてしまうと、「老後のためにこれだけ貯めれば大丈夫」と思っていた資金を、親の介護が始まったことで取り崩すことになる。

あるいは、介護のために働き方を変え、想定していた収入が得られなくなる。
 

そんなことも起こり得ます。
 

実際に「介護する側」も高齢化しています

厚生労働省「2025(令和7)年 国民生活基礎調査」によると、要介護者等と同居している主な介護者の年齢の組み合わせでは、
 

「60歳以上同士」が79.0%

「65歳以上同士」が61.9%
 

となっています。
 

つまり、「高齢の親を若い子どもが介護する」というケースだけではなく、「高齢者が高齢者を介護する」いわゆる老老介護が、すでに珍しくない状況になっています。
 

親の介護が長期間続けば、介護を始めたときには50代だった子どもが、親の介護を続けるうちに60代になることもあります。

配偶者同士の介護もあります。
 

だからこそ、「親の介護だけ何とかすればいい」という考え方では、人生後半のライフプランとして十分ではないのです。
 

【引用・参考】
厚生労働省「2025(令和7)年 国民生活基礎調査の概況 介護の状況」
https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/k-tyosa/k-tyosa25/dl/14.pdf
 

介護する相手は「親」だけとは限りません

介護という言葉を聞くと、「子どもが親を介護する」というイメージを持つ方が多いかもしれません。
 

しかし、実際には配偶者が介護を担うケースもあります。
 

厚生労働省の2022年国民生活基礎調査では、要介護者等と同居している主な介護者を続柄別に見ると、
 

「配偶者」が22.9%
「子」が16.2%
 

となっています。
 

つまり、自分自身が要介護状態になった場合、最初に介護を担う可能性があるのは、自分の子どもとは限りません。
 

配偶者かもしれません。

逆に、配偶者に介護が必要になれば、自分自身が主な介護者になる可能性があります。
 

自分が75歳、配偶者が73歳。

自分が80歳、配偶者が78歳。
 

そうした年代になってから、
 

「誰が介護するのか?」

「どこで暮らすのか?」

「どのお金を使うのか?」
 

を初めて考えるのでは、選択肢が限られてしまう場合があります。
 

【引用・参考】
厚生労働省「2022(令和4)年 国民生活基礎調査の概況 介護の状況」
https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/k-tyosa/k-tyosa22/dl/14.pdf
 

「親の介護費」と「自分たちの介護費」を混ぜない

ここで、老後資金を考えるうえで非常に重要なポイントがあります。
 

それは、「親の介護に使うお金」と、「自分たち夫婦の老後・介護に必要なお金」を、できるだけ混ぜないことです。
 

親に介護が必要になった場合、まず親自身の年金や預貯金などを活用して介護を組み立てることを基本に考えます。
 

もちろん、家庭によって事情は異なります。

親の資産が十分でないケースもあります。

子どもが一部を援助するケースもあるでしょう。
 

しかし、何のルールも決めないまま、「足りなければ、その都度子どもが出す」という状態になってしまうと、自分たちの老後資金まで少しずつ減っていく可能性があります。

しかも、それが数年間続くかもしれません。
 

介護は「いつまで続くか」が分かりません

生命保険文化センターの2024年度調査では、介護経験者の介護期間は平均4年7カ月でした。
 

一方で、4年以上介護した人も約4割います。
 

一時的な介護費用は平均47.2万円。

月々の介護費用は平均9.0万円。

在宅では月平均5.3万円、施設では月平均13.8万円となっています。
 

もちろん、これは平均値であり、「1人につき必ずこれだけかかる」という数字ではありません。
 

要介護度、介護期間、在宅か施設か、本人の所得や資産、公的制度の利用状況などによって大きく異なります。
 

ただ、ここから分かる大切なことがあります。
 

介護は、「来月いくら必要か?」だけではなく、「何年間続くか分からない支出」として考える必要があるということです。
 

【引用・参考】
公益財団法人 生命保険文化センター
「介護にはどれくらいの費用・期間がかかる?」
https://www.jili.or.jp/lifeplan/lifesecurity/1116.html
 

こんな「介護の連鎖」も考えておく必要があります

例えば、55歳の夫婦を想像してみてください。
 

夫の父が82歳。
夫の母が80歳。
妻の父が84歳。
妻の母が79歳。

自分たちは55歳前後。
 

現在は4人の親が元気だったとしても、これから10年、20年の間に状況が変わる可能性があります。
 

最初に夫の母の介護が始まる。

数年後、妻の父にも介護が必要になる。

夫婦で仕事をしながら、双方の親への対応をする。

その間に自分たちは60代になる。

親の介護が一段落した頃には、自分たちが70代になっている。
 

そして今度は、自分または配偶者に介護が必要になる。
 

決してすべての家庭がこのようになるわけではありません。
 

しかし、「親の介護」と「自分たちの介護」の間には、必ずしも十分な空白期間があるとは限らない。

この可能性を知っておくことが大切です。
 

だから「介護計画」が先、「マネープラン」はその後

老後資金の相談では、
 

「老後にいくら必要ですか?」

「NISAはいくら積み立てればいいですか?」

「年金は何歳から受け取るのが得ですか?」
 

という質問が出てきます。
 

もちろん、大切な問題です。
 

しかし私は、その前に確認したいことがあります。
 

親が介護になった場合、誰が動くのでしょうか?

親自身の年金や資産を家族は把握しているでしょうか?

在宅介護を希望しているのでしょうか?

施設を希望しているのでしょうか?

兄弟姉妹はどう分担するのでしょうか?

仕事はどのように続けるのでしょうか?
 

そして、

自分や配偶者に介護が必要になったとき、どこで暮らしたいのでしょうか?

こうした「介護計画」が見えてこなければ、本当に必要な老後資金も見えてきません
 

だから私は、「介護計画を考えたうえで、マネープランを考える」という順番が大切だと思っています。
 

「6人分の介護費用を用意する」という話ではありません

この連載で「最大6人」という言葉を使うと、「そんなにお金を準備できるはずがない」と思われる方もいるでしょう。
 

6人分の介護費用を自分たちで準備しましょう、という話ではありません。
 

考えたいのは、「6人を一つの財布で支えること」ではなく、「それぞれについて、誰が・何を・どのお金で支えるのかを整理すること」です。
 

例えば、
 

親の介護費用
→基本的には親自身の年金・資産


自分たち夫婦の介護費用
→自分たちの老後資産・年金


子どもの役割
→介護そのものを抱え込むのではなく、制度やサービスを利用しながら支援体制を整える


といったように分けて考えます。
 

この整理ができていれば、親の介護が始まったからといって、無制限に自分たちの老後資金からお金を出すことを防ぎやすくなります。
 

お金だけではありません。「誰が動くか」も重要です

介護について家族で考える際、「費用はいくらか?」だけを話し合っても十分ではありません。
 

実際には、
 

・病院から連絡を受ける人
・通院に同行する人
・介護認定の申請をする人
・ケアマネジャーと連絡を取る人
・施設を探す人
・実家を管理する人
・お金を管理する人
・兄弟姉妹に情報共有する人
 

など、さまざまな役割があります。
 

一人がすべて引き受ければ、仕事との両立が難しくなります。
 

結果として、「もう会社を辞めるしかない」という判断につながる可能性もあります。
 

ですから、介護離職を防ぐためにも、お金の準備と同時に、「家族の役割分担」を考えておくことが重要です。
 

自分たち夫婦についても、今から話しておく

そして、もう一つ。

親について話すだけでなく、自分たち夫婦でも話してみてください。
 

例えば、
 

「介護が必要になったら、自宅で暮らしたい?」

「施設という選択肢はどう思う?」

「子どもには、どこまで頼みたい?」

「認知症になった場合、お金の管理はどうしたい?」
 

こうした話です。
 

50代では、「まだ早い」と感じるかもしれません。
 

しかし、元気で判断力がある今だからこそ、落ち着いて話すことができます。
 

介護が必要になってから考えるよりも、「どう生きたいか?」という人生の希望として話しておく方が、前向きな話し合いになるのではないでしょうか?
 

私自身、両親の介護から感じていること

私自身、両親の介護に直面して感じるのは、「介護は、一人だけを見ていれば済む問題ではない」ということです。
 

父の状態。

母の状態。

施設との連絡。

病院とのやり取り。

仕事との調整。

そして、自分自身の生活。
 

一つが変化すると、ほかにも影響します。
 

だからこそ、一人の介護だけを見るのではなく、「家族全体の生活をどう維持するか?」という視点が必要だと感じています。
 

そして、さらに先には、自分自身の老後があります。
 

親の介護のために自分たちの老後を壊してしまっては、介護の負担を次の世代に渡してしまう可能性があります。
 

だからこそ、
 

親を支えることと、

自分たちの人生を守ること。
 

この二つを両立させる必要があるのだと思います。
 

今日からできること――「6人の介護マップ」を作ってみる

ぜひ、紙を1枚用意してみてください。
 

そして、
 

① 自分の父
② 自分の母
③ 配偶者の父
④ 配偶者の母
⑤ 自分
⑥ 配偶者
 

の6人を書きます。
 

それぞれについて、次の項目を確認してみてください。
 

・現在の年齢
・健康状態
・現在の住まい
・介護が必要になった場合の希望
・年金や資産を家族が把握しているか?
・誰が最初に対応する可能性が高いか?
・自宅からの距離
・兄弟姉妹など協力できる人がいるか?

 

全部埋める必要はありません。

「分からない」がたくさんあっても大丈夫です。
 

むしろ、
 

どこが分からないのか?

何を家族で話していないのか?
 

それが見えることに意味があります。
 

老後資金を増やす前に、介護で失わない仕組みをつくる

人生後半のお金を考えるとき、
 

年金。

退職金。

預貯金。

NISA。

資産運用。
 

だけを見るのではなく、
 

親の介護。

配偶者の親の介護。

自分自身の介護。

配偶者の介護。

そして、介護と仕事をどう両立するのか?
 

ここまでを一つのライフプランとして考えることが必要です。
 

老後資金を増やす前に、介護で失わない仕組みをつくる。

そのための第一歩は、「介護は親だけの問題ではない」と気づくことなのかもしれません。
 

次回予告

第4回は、「介護費用は月9万円だけではない――平均数字の正しい見方」をテーマにお伝えします。
 

「介護には平均でいくらかかるのか?」

多くの方が気になるテーマですが、平均額だけを見て介護資金を考えることには注意が必要です。
 

在宅と施設の違い、介護期間、見えにくい費用なども含めて、「介護費用の数字をどう読むべきか」を考えていきます。
 

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2026年08月16日 18:12

想定外の介護|第6回朝は普通だった父が、数時間後には危険な状態になった

第6回

「さっきまで大丈夫だった」が通用しない、高齢者介護の想定外

※この記事は、私自身の父の介護経験をもとに、本人の尊厳と個人情報に配慮しながら構成しています。
また、介護施設の対応を批判するものではありません。
施設職員の方々が父の変化に気づき、対応し、その状況を家族に共有してくださったことで、私たちが知ることのできた介護の現実です。
 


朝食の時は、いつもと大きく変わらなかった

父について施設から教えていただいた話の中で、私が特に驚いたことがあります。
 

ある日の朝。

父は普段どおり朝食をとっていました。

その時点では、特に目立った症状はなかったそうです。
 

少なくとも家族がその姿を見ていたら、「今日も大丈夫そうだ。」と思ったのではないでしょうか?
 

ところが、その数時間後。

午前10時頃に父の呼吸状態が急激に悪化しました。
 

施設の方からは、間質性肺炎の「急性増悪」が起こり、酸素飽和度が大きく低下し、かなり危険な状態だったと聞きました。
 

私はその話を聞いた時、思わず、「朝は普通だったのに...?」と思いました。
 

朝食をとっていた父が、わずか数時間後には危険な状態になっていた。

これもまた、私にとって大きな「想定外の介護」でした。
 


そもそも「間質性肺炎」とは、どんな病気なのか?

ここで、間質性肺炎について少しだけ触れておきたいと思います。
 

肺の中には、「肺胞」と呼ばれる小さな袋がたくさんあり、そこで体内に酸素を取り込んでいます。

間質性肺炎では、この肺胞の壁などに炎症や損傷が起こり、壁が厚く硬くなる「線維化」が進むことがあります。その結果、肺から酸素を取り込みにくくなり、進行すると息切れや、痰をあまり伴わないせきなどが現れることがあります。
 

また、「間質性肺疾患」は一つだけの病気を指す言葉ではありません。

原因が分からないものだけでなく、膠原病、薬剤、放射線治療、感染症、アレルギーなど、さまざまな原因や病型があります。
したがって、経過や治療、急変のしやすさも人によって違います。
 

私自身も、父がこの病気になるまでは「間質性肺炎」という言葉を詳しく知りませんでした。

病名を知った後も、「肺の病気なのだ。」という程度の理解と、「実際の生活の中で、どんなことが起こり得るのか?」という理解には、大きな隔たりがあったように思います。
 


「急性増悪」とは何なのか?

さらに、今回の父の出来事を理解するうえで重要なのが、「急性増悪」という言葉です。

日本呼吸器学会では、特発性間質性肺炎などの一部では、それまで比較的安定していた状態から、1か月以内という短期間に症状が急激に悪化することがあり、それを「急性増悪」と呼ぶと説明しています。

感染症や心不全などをきっかけに呼吸状態が急に悪化する場合もあります。
 

つまり、「少しずつ悪くなっていく。」とは限らないのです。
 

昨日まで比較的落ち着いていた。

朝も食事をしていた。
 

ところが、その後に呼吸状態が一気に悪化する。

父に実際に起きたのは、まさにそうした変化でした。
 


酸素飽和度が下がるとは、どういうことなのか?

施設からの連絡には、「酸素飽和度がかなり低下した。」という話もありました。
 

酸素飽和度、一般に「SpO2」と呼ばれる数値は、血液中のヘモグロビンに、どの程度酸素が結びついているかを皮膚の上から測ったものです。
指先にパルスオキシメーターを挟んで測る数値、と言えばイメージしやすいかもしれません。
 

もちろん、数値だけで個々の人の状態を単純に判断することはできません。

しかし、普段の状態から大きく低下することは、呼吸状態の変化を知る重要な手がかりになります。
血中の酸素が十分でない状態は、重症になると生命に関わる場合もあります。
 

私は父について、「酸素の数字が下がった。」という短い説明の裏側に、これほど重大な意味があることを改めて実感しました。
 


「朝は大丈夫だった」が安心材料にならないことがある

私たちは親の状態を、その瞬間の姿で判断します。
 

電話をしたら声が元気だった。

面会したら普通に会話ができた。

食事も食べていた。

歩いていた。

笑顔もあった。
 

そうすると、「まだ大丈夫そうだ。」と安心します。

私自身もそうでした。
 

でも父の経験を通じて、「今、大丈夫そうに見えること」と「この後も大丈夫であること」は、同じではないと知りました。
 

朝食を食べられた。

だから今日は大丈夫。
 

必ずしも、そうとは限らない病気もあるのです。
 


高齢者の場合、「一つの変化」が大きな変化につながることがある

ここで、もう一つ知っておきたいことがあります。
 

高齢になると、若い頃と比べて身体の「予備力」が低下していくことがあります。

国立長寿医療研究センターは、加齢に伴って身体の予備能力が低下し、フレイルと呼ばれる脆弱な状態になると、日常生活で起こるさまざまなストレスに対処する力が低下し、生活能力が大きく落ちることがあると説明しています。
 

すべての高齢者が同じという意味ではありません。
 

ただ、
 

若い人なら乗り越えられる体調変化が、高齢者には大きく影響する。

一つの入院をきっかけに歩く力が落ちる。

一つの感染症から急に状態が変わる。

治療によって別の持病への対応が変わる。
 

そんなことが起こる場合があります。
 


高齢者は「一つの病気だけ」を抱えているとは限らない

さらに高齢者の場合、複数の慢性疾患を持っていることも珍しくありません。
 

厚生労働省の高齢者向け資料でも、高齢期には糖尿病、心疾患、呼吸器疾患、慢性腎臓病、骨粗しょう症などの慢性疾患に加えて、認知機能低下、筋力低下、摂食・嚥下障害などが複雑に関係することが示されています。
 

父もそうでした。
 

間質性肺炎だけではありません。

糖尿病という持病もありました。
 

前回の記事で書いたように、間質性肺炎の治療をきっかけに糖尿病の管理方法が変わり、朝・昼・晩3回のインスリン注射が必要になりました。
 

間質性肺炎が落ち着いた。

だから元の生活に戻れる。

そうではありませんでした。
 

一つの病気の治療が、別の持病の管理に影響し、その結果、自宅へ戻ることが難しくなりました。

そして今回は、比較的落ち着いて生活している中で、間質性肺炎そのものが突然悪化しました。
 


病気の種類によって「想定外の形」も違う

介護の想定外は、すべて同じ形で起きるわけではありません。
 

呼吸器の病気であれば、父のように呼吸状態が急激に変化することがあります。

糖尿病であれば、薬や注射、食事との関係が毎日の暮らしに深く入り込むことがあります。
 

筋力や歩行能力が落ちれば、昨日まで行けていたトイレに一人で行けなくなることがあります。

認知機能が低下すれば、薬を飲んだかどうかが分からなくなったり、トイレに行くタイミングを判断しにくくなったりすることもあります。
 

つまり、「親に何の病気があるのか?」によって、起こり得る想定外も変わってくるのです。

だから私は、「介護」と一言で考えることが難しいのだと思うようになりました。
 


「病気」と「介護」は別々ではなかった

父母の介護を経験する前の私は、
 

病気は病院の話。

介護は生活の話。
 

どこか別々のものとして考えていたように思います。
 

でも実際には違いました。
 

父の間質性肺炎。

糖尿病。

インスリン注射。

排せつ。

服薬。

入浴。

歩行。
 

どれも別々の問題ではありません。
 

病気が変化すると、生活が変わる。

生活力が落ちると、介護が増える。
 

治療内容が変わると、家族の支援方法まで変わる。

医療と介護と暮らしは、すべてつながっていました。
 


第5回では「退院できる」と安心した直後に、想定外が起きた

前回の記事では、父の間質性肺炎が落ち着き、「これで退院して自宅へ帰れる。」と安心した矢先の出来事を書きました。
 

治療の影響で糖尿病の管理方法が変わり、朝・昼・晩3回のインスリン注射が必要になった。

その結果、自宅へ戻ることが難しくなり、介護付き有料老人ホームへの入居を選ぶことになった。
 

そして今回。

施設で比較的落ち着いて生活していると思っていた父に、突然の急変が起きました。
 

私は改めて感じました。

介護の想定外は、一度では終わらない。
 

一つを乗り越えたから、「これでもう大丈夫。」とは言えないことがあるのです。
 


もし自宅で一人だったら

父の話を聞いて、どうしても考えてしまったことがあります。
 

もし、あの日。

父が施設ではなく、自宅にいたら。
 

朝食を普通に食べている姿を見て、「今日は大丈夫そうだね。」と家族が仕事へ出かけていたら。
 

そして、その数時間後に急変していたら。
 

もちろん、これは仮定の話です。
 

自宅介護が悪いという話でもありません。

施設介護が必ず安全という話でもありません。
 

ただ、「朝は普通だったから、一人でも大丈夫だろう。」という判断だけでは分からないリスクがある。

私は父の経験から、そのことを強く感じました。
 


「うちの親も、見えていないだけかもしれない」

この連載で、読者の皆さんを怖がらせたいわけではありません。

不安を煽ることが目的でもありません。
 

私が伝えたいのは、「そんなことも起こるのか?」という現実です。
 

高齢者の場合、身体の予備力が低下していることがあります。

複数の持病を抱えていることもあります。
 

そして病気の種類によっては、ゆっくり悪くなるだけではなく、突然状態が変わることもあります。
 

昨日元気だった。

朝も普通だった。

だから今日も大丈夫。
 

必ずしも、そうとは限りません。
 

だからこそ、
 

「親は今、どんな病気を持っているのか?」

「その病気では、どんな変化が起こる可能性があるのか?」

「家族はどこまで知っているのか?」
 

一度考えてみることには意味があると思います。
 


私が作成した「親が倒れる前の介護準備チェックシート」では、かかりつけ医、服薬、持病・既往歴、急な入院時の連絡先なども確認できるようにしています。
 

親の持病や既往歴を「おおよそ把握しているか」も、30項目の一つです。
 

今すぐ何か重大な決断をする必要はありません。

まずは、「自分は、親の病気についてどこまで知っているだろう?」
 

そんな問いを、自分に向けてみるところからでもよいのではないでしょうか?
 

介護は、一つの出来事ではありません。
 

高齢であること。

持病があること。

病気の種類。

治療の変化。
 

それらが重なり合いながら、家族が想像していなかった介護につながることがあります。
 

それもまた、私が父の介護から知った「想定外の介護」の現実です。
 

▼親が倒れる前の介護準備 簡易診断アプリはこちらから
 

親が倒れる前の介護準備チェックシートはこちらから
 

▼親の介護や介護準備が気になっている方はこちらをご覧ください。

2026年08月15日 17:19

「5万円の特別レク」は高い?敬老会イベントの費用対効果を考える

連載⑪

レクが変わると、施設が変わる。

「外部レクに5万円か...。ちょっと高いかな?」

敬老会などの特別イベントを検討しているとき、こう感じる施設長や管理者の方もいらっしゃるのではないでしょうか?
 

普段、職員の皆さまが施設内で行っているレクリエーションと比較すれば、「1回5万円」という金額は決して小さくありません。

だからこそ大切なのは、「5万円は高いか、安いか」だけで判断しないこと。」ではないでしょうか?
 

その5万円によって、

  • 利用者様にどんな体験を届けられるのか?

  • 職員の企画・準備負担はどう変わるのか?

  • 何人の方が楽しめるのか?

  • 敬老会らしい特別な時間になるのか?

  • 当日の画像を採用などのHPなどに活用できないか?

  • SNSによる情報発信に活用できないか?

まで含めて考えることが必要だと思います。

今回は、敬老会などの特別レクリエーションの「費用対効果」について考えてみます。
 


普段のレクと「特別レク」は、同じ物差しで比べない

まず整理しておきたいのは、毎日のレクリエーションと敬老会のような特別イベントは、役割が少し違うということです。

普段のレクには、

  • 身体を動かす

  • 人との交流を楽しむ

  • 日々の生活にメリハリをつくる

  • 安心できる習慣をつくる

といった大切な役割があります。

一方、敬老会や周年行事、クリスマス会などは、「今日は特別な日」と感じていただくための機会でもあります。

ですから、「毎週のレクなら5万円は高い。」という判断と、「年に一度の敬老会として5万円をどう考えるか?」は、分けて考えることも必要なのではないかと思います。
 


「1回5万円」ではなく「何人に届けられるか?」で考えてみる

たとえば、50名の利用者様が参加するイベントであれば、5万円は単純計算で1人あたり約1,000円です。

30名なら、1人あたり約1,700円です。
 

もちろん、人数だけで費用対効果が決まるわけではありません。

しかし、「1回5万円」という数字だけを見るのと、「利用者様一人ひとりに、どんな体験を届けられるのか?」「他の活用方法があるのではないか?」という視点で見るのとでは、印象が変わります。
 

特に、見るだけでも楽しめて、希望する方は少し参加もできるようなプログラムであれば、身体状況の異なる多くの利用者様が同じ空間で楽しめる可能性があります。
 


見落とされやすいのが「職員の準備時間」というコスト

施設内でイベントを行う場合、表面的な費用はあまりかからないことがあります。
 

しかし、その裏側では、「今年は何をしよう。」と企画を考え、
 

必要な物を探し、

買い出しをし、

飾り付けをつくり、

出し物を練習し、

当日の進行を確認する。
 

こうした時間がかかっています。
 

もちろん、職員の皆さまが工夫してつくるイベントには、外部サービスにはない素晴らしさがあります。
 

だから、すべて外部に任せればよいということではありません。
 

ただ、「施設内で行えば無料」ではないという視点は持っておきたいところです。

職員の準備時間も、施設にとって大切な経営資源だからです。
 


外部レクの価値は「職員も一緒に楽しめること」にある

外部レクを活用する大きなメリットの一つは、職員の皆さまの役割を変えられることだと思います。
 

施設内だけでイベントを運営すると、
 

司会をする。
音楽を流す。
道具を配る。
進行する。
盛り上げる。
 

職員の皆さまはどうしても「運営する側」になります。
 

一方、外部の専門家に進行を任せられれば、
 

利用者様の隣に座る。
一緒に拍手する。
声をかける。
普段とは違う表情に気づく。
 

そんな関わりがしやすくなります。

私は、これも特別レクに費用をかける価値の一つだと思っています。
 


「楽しかった」で終わらない価値も考えてみる

敬老会の価値は、その場で利用者様が楽しむことだけではありません。
 

イベントのあとに、
 

「昨日は楽しかったですね。」

と利用者様と職員の会話が生まれる。

写真を見ながら思い出を振り返る。

ご家族に、その日の様子を伝える。

施設だよりや広報で、施設の取り組みとして紹介する。
 

そうした形で、イベント後にも体験を活かすことができます。

特別イベントは、「その1時間だけの出来事ではなく、その後の会話や交流につながる可能性がある。」という視点も、費用対効果を考えるうえでは大切だと思います。
 


では「5万円ならやるべき」なのか?

ここは、はっきりお伝えしておきたいと思います。
 

5万円だから価値があるわけでも、特別レクなら必ず導入した方がよいわけでもありません。
 

たとえば、

  • 何のために実施するのか明確でない。

  • 利用者様の状況に内容が合っていない。

  • 会場条件が合わない。

  • 施設の予算に無理がある。

  • 職員側の準備が想定以上に必要。

という場合には、別の方法を考えた方がよいこともあります。
 

大切なのは、「5万円を使うこと」ではなく、その施設にとって「5万円を使う意味があるか?」を判断することです。
 


費用対効果を考える5つの質問

敬老会などの外部レクを検討するときは、次の5つを考えてみてください。

① このイベントの目的は何ですか?

長寿をお祝いしたいのか?
特別な体験を届けたいのか?
ご家族も含めて楽しみたいのか?

目的が違えば、選ぶ内容も変わります。

② 何人くらいの利用者様が楽しめますか?

一部の方だけでなく、見るだけでも楽しめる方を含めて考えてみます。

③ 職員の企画・準備時間はどのくらい減らせますか?

外部に依頼することで、どこまで施設側の負担を軽くできるのか確認します。

④ 普段のレクにはない「特別感」がありますか?

年に一度の敬老会なら、「今日はいつもと違う」と感じられる価値も大切です。

⑤ イベント後にも活かせますか?

利用者様との会話、ご家族への報告、施設内広報など、その後につながる体験になっているかを考えます。

この5つに照らして考えると、単純な価格比較ではなく、「自施設にとっての価値」で判断しやすくなります。
 


室内サーカスの場合はどう考える?

私がご紹介している高齢者施設向けの室内サーカス型レクリエーションも、基本料金は5万円からです。

その特徴は、単にショーを見るだけではなく、「見る楽しさと、参加する楽しさを組み合わせられること」にあります。
 

利用者様全員が同じことをする必要はありません。
 

見る。
拍手する。
笑う。
少し体験してみる。

それぞれの形で一緒の時間を楽しむ。
 

敬老会のように、身体状況の異なる多くの方が集まるイベントでは、こうした参加の幅は一つのメリットになると考えています。
 

とはいえ、施設によって条件は違います。

だからこそ、「サーカスをやるかどうか?」から考えるのではなく、「今年の敬老会で、どんな時間を利用者様に届けたいのか?」から考えることをおすすめしています。
 


5万円を見る前に、まず「目的」を見る

「5万円は高いですか?」と聞かれたら、私は、「何を実現したいかによります。」と答えます。
 

普段のレクとして考えれば、高く感じるかもしれません。
 

一方、
 

年に一度の敬老会で、
多くの利用者様が一緒に楽しみ、
職員の準備負担を抑え、
いつもとは違う特別な時間を届けたい。
 

という目的であれば、検討する価値はあると思います。
 

大切なのは、「金額からイベントを選ぶのではなく、目的から予算を考えること。」

これが、敬老会の費用対効果を考える一つのポイントではないでしょうか?
 


施設長向け「5万円の特別レク」判断チェック

候補となる外部レクが見つかったら、次の項目を確認してみてください。

  • 敬老会で実現したいことが明確になっている。

  • 多くの利用者様がそれぞれの形で楽しめそう。

  • 職員の企画・準備負担を抑えられる。

  • 日常レクとは違う特別感がある。

  • 金額だけでなく、得られる体験まで含めて比較している。

  • 他の施設との差別化が図りたい。

3つ以上チェックがつくなら、一度具体的に内容と見積もりを比較してみてもよいと思います。
 


「秋の施設イベント30分無料相談」のご案内

「5万円をかける価値があるのか判断できない。」

「うちの規模なら、どんなイベントが合うのだろう。」

「敬老会に何か特別なことをしたいけれど、予算とのバランスで迷っている。」


そんな施設様を対象に、

秋の施設イベント30分無料相談

を行っています。
 

利用者様の人数、身体状況、会場、ご予算、職員体制などを伺いながら、「その施設では、何にお金をかけると最も価値が生まれるのか?」

を一緒に整理します。
 

室内サーカスありきのご相談ではありません。
 

まずは、今年の敬老会や秋イベントで何を実現したいのかから、一緒に考えます。
 

キャリア&ライフプラントータルサポート
代表 山岸 博幸
TEL:090-3903-8408
HP:https://career-life.org/

▼秋の施設イベント無料相談のお申込みはこちらから

2026年08月14日 17:54

第6回 「見えているのに、見つけられない」ってどういうこと?

第6回

「あれ、メガネがない」
 

そう言いながら、テーブルの上を何度も探している。

でも、メガネは目の前に置いてある。
 

家族からすれば、
 

「そこにあるじゃない」

「目の前にあるよ」
 

と思うような場面です。
 

あるいは、「鍵がない」と言って家の中を何度も探している。
 

でも、鍵はいつもの場所に置いてある。
 

こうした場面に出会うと、周囲の人はつい、
 

「ちゃんと見て」

「さっきからそこにあるよ」

「どうして分からないの?」
 

と言いたくなるかもしれません。
 

でも、ここで少しだけ立ち止まって考えてみたいのです。
 

本人には、本当に私たちと同じように見えているのでしょうか?
 


「目に入っている」と「見つけられる」は同じではない

私たちは普段、「見えているのだから、分かるはず」と思っています。
 

けれども、物を見るという行為は、単に目に映すだけではありません。
 

たくさんの情報の中から必要なものに気づき、
 

「これはメガネだ」

「これは自分の鍵だ」
 

と認識し、目的のものとして見つける。
 

私たちは、こうしたことをほとんど意識せずに行っています。
 

認知症のある方の場合、このような情報の整理や認識が難しくなることがあります。
 

つまり、「目には入っているのに、探しているものとして気づけない。」
 

そんなことが起こる場合があるのです。
 


もし、自分だったらどう感じるでしょうか?

想像してみてください。
 

あなたは確かにここに置いたはずの鍵を探しています。
 

テーブルを見る。

棚を見る。

バッグの中を見る。
 

でも見つからない。
 

家族からは、「目の前にあるじゃない」と言われます。
 

もう一度見る。

それでも分からない。
 

さらに、「どうして分からないの?」と言われる。
 

もし自分だったら、どんな気持ちになるでしょうか?
 

「自分がおかしくなってしまったのだろうか?」

「どうして見つけられないんだろう...。」

「ちゃんと探しているのに...。」
 

そんな不安や焦りを感じるかもしれません。
 

場合によっては、恥ずかしさや苛立ちにつながることもあるでしょう。
 

周囲から見れば、「探し方が悪い人」に見える。
 

でも本人側から見れば、「見つけられずに困っている人」なのかもしれません。
 

これは、これまでこの連載で繰り返し考えてきた視点でもあります。
 


「もっとよく見て」では解決しないこともある

家族としては、「ほら、ここ」と教えてあげたくなります。
 

もちろん、それで本人が気づけることもあります。
 

でも、「ちゃんと見れば分かるでしょう」と繰り返すだけでは、うまくいかない場合もあります。
 

なぜなら、本人は「見ようとしていないのではなく、見つけにくい状態にある」可能性があるからです。
 

例えば、
 

テーブルの上にたくさんの物が置いてある。

模様の多いクロスの上に鍵が置いてある。

周囲にいろいろな色や形がある。
 

そんな状況では、探している物が周囲の情報に紛れてしまうことがあります。
 

私たちにとっては簡単な状況でも、本人にとっては、「どれを見ればいいのか分からない世界」になっているのかもしれません。
 


「探す力」を試すより、「見つけやすくする」

そこで、発想を少し変えてみます。
 

「本人が見つけられるかどうか?」を試すのではなく、「どうすれば見つけやすくなるだろう?」と考えてみるのです。


例えば、
 

いつも使う物の置き場所を決める。

テーブルの上をできるだけ整理する。

周囲とはっきり区別できる場所に置く。
 

一度にたくさんのことを伝えず、「ここにありますよ」とゆっくり示す。
 

本人と一緒に探す。
 

ほんの少し環境や伝え方を変えるだけで、本人自身が見つけられることもあります。
 

大切なのは、
 

「できないから代わりに全部やってしまう」ことでも、「できるまで何度もやらせる」ことでもありません。
 

本人ができる形を一緒に探していくことではないでしょうか?
 


私たちの「当たり前」が、本人にも当たり前とは限らない

今回のテーマは、「見えているのに、見つけられない」でした。
 

これは少し不思議に感じるかもしれません。
 

でも、「認知症世界の歩き方」を考えていくときに、とても大切なのは、

「私たちの当たり前を、そのまま本人の当たり前だと思わないこと」だと私は感じています。
 

「見えているんだから分かるはず」

「ここにあるんだから見つかるはず」

「さっき説明したんだから覚えているはず」
 

私たちは無意識のうちに、自分の世界を基準にして相手を見ています。
 

でも、本人が生きている世界から考えてみると、「なるほど、だから困っていたのか」と見え方が変わることがあります。
 


「どうして分からないの?」から「どう見えているんだろう?」へ

認知症のある方への関わりには、一つの正解があるわけではありません。
 

認知症の症状や困りごとの現れ方も、人によって違います。
 

だからこそ、「認知症だからこうだ」と決めつけるのではなく、「この人には、今この場面がどう見えているんだろう?」と想像してみる。
 

その問いを持つだけでも、私たちの言葉や関わり方は少し変わってくるのではないでしょうか?
 

「どうして見つけられないの?」ではなく、「どうすれば見つけやすくなるだろう?」へ。
 

相手を変えようとする前に、私たちの見方を少し変えてみる。

それも、認知症のある方とともに暮らしていくための大切な一歩なのだと思います。
 


次回は「時間が分からない世界」を旅してみます

私たちは毎日、
 

「あとで」

「さっき」

「明日」

「10時になったら」
 

と、時間を当たり前のように使っています。
 

でも、もしその「時間の感覚」が分かりにくくなったとしたら?
 

次回は、「時間が分からない世界」で暮らすということを一緒に考えてみたいと思います。

認知症世界の旅は、まだ続きます。
 


9月27日「認知症世界の歩き方」実践ワークショップを開催します

このブログ記事では文章を通して、「本人にはどんな世界が見えているのだろう?」ということを一緒に考えています。
 

9月27日には、「認知症世界の歩き方」公認ファシリテーター(旅のガイド)として、実践ワークショップを開催します。
 

認知症について「教えてもらう」だけではなく、参加者のみなさんと一緒に、本人が生きている世界を想像し、考え、対話していく時間です。
 

ご家族に認知症のある方はもちろん、医療・介護・福祉に関わる方、地域で認知症について考えてみたい方、そして「まだ自分には関係ない」と思っている方にも参加していただければと思っています。
 

※認知症の症状や困りごとの現れ方には個人差があります。本記事は、特定の方の状態を一律に説明するものではありません。

▼「認知症世界の歩き方」実践ワークショップの詳細・参加申込はこちらから
 

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2026年08月12日 14:46

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