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第12回 もし明日、自分が「認知症」と言われたら?

第12回 海辺の街と認知症を考える第12回

「認知症の人」の話から、「自分の人生」の話へ

もし明日、病院で医師から、「認知症です」と言われたら...。
あなたは、どんなことを考えるでしょうか。
 

「これから何ができなくなるのだろう」

「仕事はどうなる?」

「家族に迷惑をかけるのではないか」

「一人で暮らせなくなるのだろうか」
「自分では何も決められなくなるのだろうか」
 

不安になるのは、当然だと思います。

私自身も、もしそう言われたら、きっと大きなショックを受けるでしょう。
 

でも、今回少し考えてみたいのは、「認知症になったら何ができなくなるか」だけではありません。
 

もし自分が認知症になったとしても、

どんなふうに生きたいのか。
家族や周囲の人に、どんなふうに接してほしいのか。

 

そこまで考えてみたいと思います。
 


これまでは「認知症のある方」について考えてきました

この連載では、これまで、
 

「見えているのに、見つけられない」

「時間が分からない」

「言いたいのに、うまく言葉にならない」

「音や人や情報が多すぎて混乱する」

「買い物のどこで困っているのか」

「本人の声をどう聴くのか」
 

そんな「認知症世界」を一緒に旅してきました。
 

そのとき、私たちはどこかで、「認知症のある方」について考えていたのではないでしょうか。
 

でも、認知症は決して、「自分とは関係のない誰か」だけの話ではありません。
 

そこで今回は、少し視点を変えます。

「もし、それが自分だったら?」と考えてみたいのです。
 


まず、何が一番怖いだろう?

自分が認知症になることを想像すると、何が一番怖いでしょうか。
 

物忘れでしょうか。

道に迷うことでしょうか。

家族の顔が分からなくなることでしょうか。
それとも、「自分が自分でなくなってしまうこと」でしょうか。
 

認知症について語られるとき、「できなくなること」が多く取り上げられます。
 

でも、記憶が曖昧になったとしても、
 

感じること

好き嫌い

心地よさ

不安

喜び

誰かに大切にされたい気持ち

自分らしくありたいという思い
 

それらまで、突然すべて消えてしまうわけではありません。
 

もし自分が認知症になったら、まず、「病気だけで自分を見ないでほしい」と思うのではないでしょうか。
 


「何もできない人」として扱われたくない

もし認知症と診断された翌日から、家族が、
 

「もう危ないから、やらなくていいよ」

「私たちが全部やるから」

「あなたには難しいでしょう」
 

と言うようになったら、どう感じるでしょうか。
 

もちろん、家族は心配してくれている。
 

それは分かる。
 

でも、自分にはまだできることがある。

時間をかければできることもある。

少し手伝ってもらえばできることもある。
 

それなのに、「認知症だからできない」と最初から決められてしまったら...。
 

私はきっと、
 

寂しい

悔しい
 

そして、「自分の人生なのに」と思うのではないでしょうか。
 


自分のことを、自分抜きで決めないでほしい

病院のこと

介護のこと

住む場所

お金

食事

外出
 

家族にとっては、心配なことが増えていきます。
 

だから、「本人には難しいだろうから」と、本人のいないところで家族だけが話し合うこともあるかもしれません。


でも、もし自分だったらどうでしょう。
 

自分がこれからどこで暮らすのか。

誰と暮らすのか。

どんな支援を受けるのか。
それを、自分抜きで決められていたら。
 

認知症になったとしても、「自分の人生の主人公でありたい。」
そう思うのではないでしょうか。

 

すべてを一人で決めることが難しくなったとしても、

「どうしたい?」と聞いてほしい。

分かるように説明してほしい。

一緒に考えてほしい。
 

そう思う気がします。
 


「正しいこと」より、安心できる人でいてほしい

もし自分が、「家に帰りたい」と言ったとき...。
 

家族から、
 

「ここがあなたの家でしょう」

「何度言ったら分かるの?」
 

と言われ続けたらどうでしょう。
 

自分にとっては、本当に「帰りたい」と感じている。

でも、その気持ちを否定される。
 

それは、とても不安なことかもしれません。
 

そんなとき、「ここが家だと分からせてくれる人」より、「どうしたの?帰りたいんだね」と一度気持ちを受け止めてくれる人がそばにいてほしい。

私はそう思います。
 

もちろん、いつでも理想的な対応ができるわけではありません。

でも、「正しさを教えてくれる人より、安心できる人。」
 

もし自分が認知症になったら、そんな人がそばにいてくれたら心強いのではないでしょうか。
 


「私のこと」を覚えていてほしい

もし自分が、自分のことをうまく説明できなくなったら。

周囲の人には、何を知っていてほしいでしょう。
 

私は何が好きだったのか。

どんな仕事をしてきたのか。

何を大切にしてきたのか。

どんな音楽が好きなのか。

どんな食べ物が好きなのか。

何が嫌いなのか。

どんな場所へ行くと落ち着くのか。

誰と会うと嬉しいのか。
 

そんな、「私らしさ」を覚えていてほしいと思うのではないでしょうか。
 

認知症になっても、人生の歴史までなくなるわけではありません。

その人が積み重ねてきた人生を知ることは、本人を理解するための大切な手がかりになります。
 


「できないこと」だけを数えないでほしい

できなくなったことは、目につきやすいものです。
 

料理が難しくなった。

お金の管理が難しくなった。

予定を忘れる。

道に迷う。

言葉が出にくい。
 

でも、できることもあります。
 

花を見て楽しむ。

音楽を聴く。

家族と笑う。

洗濯物をたたむ。

得意だった料理の一工程を手伝う。

誰かに「ありがとう」と言う。

誰かを笑顔にする。
 

もし自分だったら、できなくなったことばかりを数えられるより、今できることを見つけてほしい。

そう思うのではないでしょうか。
 


「役に立つ人」でいたいかもしれない

人は、誰かから助けてもらうだけで生きているわけではありません。
 

誰かの役に立つ。

頼りにされる。

「ありがとう」と言われる。
 

そんなことから、自分の存在意義を感じることもあります。
 

ところが認知症になると、いつの間にか、「支援される側」だけになってしまうことがあります。
 

もし自分だったら、

できる範囲でいいから、

誰かの役に立ちたい。

家族の中で役割を持ちたい。

地域の中で人とつながっていたい。
 

そう思うかもしれません。
 

「何をしてあげるか」だけではなく、「その人に何をしてもらえるだろう?」
 

という視点も、大切なのではないでしょうか。
 


「認知症だから」で人生を終わらせないでほしい

旅行が好きだった。

スポーツが好きだった。

友人と話すのが好きだった。

カフェに行くのが好きだった。

地域活動を続けてきた。
 

もし自分が認知症になったとき、
 

「もう危ないから」

「認知症だから」
 

という理由だけで、それらすべてが終わってしまったら。

とても寂しいと思います。
 

もちろん、安全への配慮は必要です。

今までとまったく同じ方法では難しいこともあるでしょう。
 

でも、「もうできない」ではなく、「どうすれば続けられるだろう?」と一緒に考えてくれる人がいたら。
 

人生は、認知症の診断を受けた瞬間に終わるわけではありません。
 

その先にも生活があります。

楽しみがあります。

人とのつながりがあります。
 


もし明日、自分が認知症と言われたら――

ここまで考えてみると、認知症についての見方が少し変わってこないでしょうか。
 

「認知症の人には、どう対応したらいいのか?」という問いから、「もし自分だったら、どうしてほしいだろう?」という問いへ。
 

私は、
 

できることは自分でやりたい。

選べることは自分で選びたい。

分からないときは急かさず待ってほしい。

間違ったときに責めないでほしい。

自分抜きで自分のことを決めないでほしい。

認知症という病名だけで見ないでほしい。

そして、「最後まで「私」として接してほしい。」
 

そう思うのではないかと思います。
 


認知症を「自分ごと」にすると、社会の見え方が変わる

認知症について考えるとき、どうしても、「支援する側」と「支援される側」に分けてしまいがちです。

でも、その境界線は固定されたものではありません。
 

今は支える側の人が、いつか支えられる側になるかもしれない。
 

だからこそ、認知症のある方が安心して暮らせる社会をつくることは、「未来の自分が安心して暮らせる社会をつくること」でもあります。
 

困ったときに声をかけてもらえる。

時間がかかっても待ってもらえる。

分からなくても責められない。

できることを奪われない。

自分の声を聞いてもらえる。
 

そんな地域だったら、認知症になることへの怖さも、少し違ったものになるのではないでしょうか。
 


次回は「認知症になっても私らしく暮らせる社会」を考えます

第12回では、「もし自分が認知症になったら?」という視点から考えてみました。

ここから、もう一歩広げてみます。
 

自分だけではありません。
 

家族

近所の人

お店

会社

医療や介護

地域
 

社会全体が少しずつ変わったら、認知症になっても安心して暮らせる社会に近づくのではないでしょうか。
 

次回、『第13回は、認知症になっても「私らしく」暮らせる社会へ』をテーマに、認知症を「個人や家族だけの問題」ではなく、社会全体のテーマとして一緒に考えてみたいと思います。
 


あわせて知っていただきたい「認知症世界の歩き方」

今回の記事を読んで、「本人が見ている世界を、もっと知ってみたい」と思われた方へ、3つご紹介します。
 

1.「認知症世界の歩き方」実践ワークショップ【11月23日】

認知症について知識を一方的に学ぶだけではなく、認知症のある方が生きている世界を想像し、参加者同士で考え、対話しながら理解を深めていく実践型ワークショップです。

私は「認知症世界の歩き方」公認ファシリテーター(旅のガイド)として、皆さんと一緒に「認知症世界」を旅します。

ご家族に認知症のある方、医療・介護・福祉関係者はもちろん、「今はまだ自分には関係ない」と思っている方にも、ぜひ一度体験していただきたい内容です。


▼詳細・お申込み
https://peatix.com/event/5226254
 

2.映画『認知症世界の歩き方』公式サイト

ベストセラー『認知症世界の歩き方』が実写映画化され、2027年2月5日から全国公開予定です。
 

「認知症のある方が見ている世界を伝えたい」というコンセプトのもと、認知症を「知る」だけでなく、その世界をスクリーンで体験する作品として制作されています。

公式サイトでは、予告編やストーリー、キャスト、作品のコンセプトなどを見ることができます。
 

▼映画『認知症世界の歩き方』公式サイト

https://issueplusdesign.jp/dementia_world/movie/

 

3.『認知症世界の歩き方』公式サイト

「認知症世界の歩き方」は、100名以上の認知症のあるご本人へのインタビューをもとに、本人が見ている世界や感じていることを、「旅をする」ように学べるプロジェクトです。

基礎知識、14のストーリー、書籍、映画、ワークショップなどを通して、本人の視点から認知症について考えることができます。

この連載の原点でもあります。


▼『認知症世界の歩き方』公式サイト

https://issueplusdesign.jp/dementia_world/

 

ぜひ、この記事を読む「旅」とあわせて、さまざまな形で「認知症世界」を体験してみてください。
 

※認知症の症状や困りごとの現れ方、本人の希望や感じ方には個人差があります。本記事で紹介した例が、すべての認知症のある方に当てはまるわけではありません。
 

2026年11月04日 14:28

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