想定外の介護|第8回「自分で飲んでいる」と言う母に、毎回の服薬確認が必要だった
薬は置いておけば飲める、ではなかった。
※この記事は、私自身の母の介護経験をもとに、本人の尊厳と個人情報に配慮しながら構成しています。服薬方法や薬の種類、服用回数は人によって異なります。
「薬くらいは、自分で飲める」と思っていた
親の介護について考える時、皆さんはどんな場面を想像するでしょうか?
歩くのを手伝う。
トイレへ付き添う。
食事を用意する。
お風呂に入るのを手伝う。
私も以前は、そんな「目に見える介助」を介護だと思っていたところがありました。
その中で、薬については、「本人の前に置いておけば、自分で飲めるだろう」と安易に考えていました。
実際、母も以前は自分で薬を飲んでいました。
ですから、まさか家族が、
「朝の薬は飲んだ?」
「昼の薬はまだだよ」
「これは夜に飲む薬だよ」
と、毎回確認することになるとは思っていませんでした。
これも、私にとっては「想定外の介護」でした。
母は「薬を飲めない」わけではなかった
ここが、介護の分かりにくいところだと思います。
母は、薬そのものを飲めないわけではありませんでした。
錠剤を口に入れる。
水で飲み込む。
その行為自体はできる。
一見すると、「だったら一人で大丈夫なのでは?」と思います。
しかし、問題はそこではありませんでした。
母にとって難しくなっていたのは、「いつ、どの薬を飲むのかを自分で管理すること」でした。
朝なのか?
昼なのか?
夜なのか?
もう飲んだのか?
まだ飲んでいないのか?
そうした一日の流れを自分だけで管理することが、少しずつ難しくなっていたのです。
朝・昼・晩——家族の確認が必要になった
母には、朝・昼・晩と薬を飲むタイミングがありました。
すると家族にも、
朝
昼
晩
それぞれに確認する時間が生まれます。
「朝の分は飲んだ?」
「昼の薬はこれだよ」
「夜の薬はまだだからね」
服薬そのものは、数分で終わるかもしれません。
でも、その数分が一日に何度もあります。
そして翌日も。
その次の日も。
毎日続きます。
家族が付き添っていた時には、こうした確認が常に必要でした。
そこで初めて、「服薬管理も立派な介護なのだ」と実感しました。
「飲んだよ」と言われても、本当に飲んだか分からない
さらに難しいのは、本人の言葉だけでは確認できないことがあるという点です。
「薬、飲んだ?」と聞く。
母は、「飲んだよ」と答える。
でも、本当に飲んだのか?
朝の薬だったのか?
昼の薬だったのか?
いつ飲んだのか?
分からないことがあります。
本人が嘘をついているわけではありません。
本人自身は、本当に飲んだと思っていることもあります。
逆に、すでに飲んでいるのに、「まだ飲んでいない」と思ってしまうこともあり得ます。
私はこの経験から、「本人が大丈夫と言っている」と「実際に大丈夫」は、同じではないことがあると知りました。
薬をケースに分ければ解決、でもなかった
朝・昼・晩で薬を分けるケースがあります。
一週間分を曜日ごとに整理することもできます。
もちろん、こうした工夫はとても役立ちます。
ただ、母の場合には、「薬が分かれていること」と、「その時間に正しく飲めること」は、別の問題でした。
今日は何曜日なのか?
今は朝なのか昼なのか?
すでに飲んだのか?
その確認が必要になる。
つまり、道具で整理するだけでは補えない部分がありました。
「服薬管理」という言葉の意味が変わった
それまで私がイメージしていた服薬管理は、
薬を整理すること。
薬をなくさないこと。
飲む時間を間違えないようにすること。
その程度でした。
でも母の介護を経験して、意味が変わりました。
時間になったら声をかける。
薬を渡す。
飲んだことを確認する。
次の薬の時間まで把握しておく。
場合によっては、本人が嫌がらないように伝え方にも配慮する。
つまり、「薬そのものではなく、その人の生活全体を見ながら支えること」が服薬管理だったのです。
「数分だから大したことはない」と思うかもしれない
一回の服薬確認には、それほど長い時間はかかりません。
数分で終わる場合もあるでしょう。
だから、「そんなに大変なことではないのでは?」と思うかもしれません。
でも、介護には、この「数分」がたくさんあります。
薬を確認する数分
トイレへ声をかける数分
着替えを手伝う数分
食事を確認する数分
一つひとつは小さい。でも、それが朝から夜まで続きます。
そして毎日続きます。
介護の負担は、大きな介助を何時間するかだけではなく、「小さな確認に、一日を細かく区切られていくこと」にもあるのだと思います。
家族の外出にも「薬の時間」がついてくる
母の服薬を家族が確認していた頃、外出する時にも薬のことが頭にありました。
昼の薬はどうするか?
夕方までに帰れるか?
誰かが代わりに確認できるか?
ほんの数分の服薬確認でも、「その時間に誰かが必要」となれば、家族の行動に影響します。
介護が始まる前には、私はそこまで想像していませんでした。
「薬を飲んでもらう」という一つの出来事ではなく、家族の一日の予定にも薬の時間が組み込まれていく。
これも、実際に経験して初めて分かったことでした。
できることと、できなくなったことが混在する
高齢者の介護では、何もかも突然できなくなるわけではありません。
ここも大切な点だと思います。
母は会話ができる。
食事もできる。
薬も自分で飲み込める。
だから、一見すると自立しているように見える。
でも、朝・昼・晩の服薬を管理することは難しい。
こうして、「できることと、できないことが同時に存在する」ことがあります。
家族にとっては、これが非常に分かりにくい。
「これができるなら、あれもできるだろう」と思ってしまうからです。
でも実際には、能力は一律に低下するわけではありません。
そこに、介護の想定外があります。
「自分でできる」と言う親の気持ちも大切にしたい
一方で、親からすれば、「薬くらい自分で飲める」と思いたい気持ちもあるでしょう。
今までずっと、自分のことは自分でやってきた。
子どもに何度も、「薬は飲んだ?」と聞かれる。
本人にとっては、「子ども扱いされている」と感じることもあるかもしれません。
介護では、必要な確認と、本人の自尊心の間で家族が悩むことがあります。
確認しなければ心配。
でも確認しすぎれば、本人が嫌がる。
ここにも、答えが一つではない介護の難しさがあります。
「薬の飲み忘れ」は、家族から見えにくい
転倒すれば、すぐ分かります。
けがをすれば分かります。
体調が大きく悪化すれば、周囲も気づきます。
でも薬の飲み忘れは、静かに起こります。
朝の薬が残っている。
昨日の薬がある。
薬の数が合わない。
最初は、そんな小さな変化かもしれません。
本人も困っている自覚がない場合があります。
家族も、「年だから少しくらい忘れることもある」と思うかもしれません。
でも、それが、一人で服薬管理することが難しくなっているサインの場合もあります。
介護は、大きな事件だけで始まるわけではない
この連載ではこれまで、
病気で入院したこと。
自宅へ戻れなくなったこと。
緊急搬送されたこと。
排せつが難しくなったこと。
入浴を拒否したこと。
などを書いてきました。
これらに比べると、「朝・昼・晩の薬を確認する」という話は、とても地味に見えるかもしれません。
でも私は、こうした小さな変化の積み重ねも、まさに介護だと思っています。
介護は、救急車が来た日から始まるとは限りません。
薬を忘れるようになった。
一人で買い物へ行けなくなった。
トイレの回数が変わった。
同じことを何度も聞くようになった。
そうした日常の小さな変化から、すでに始まっていることがあります。
「うちの親は自分で薬を飲んでいる」その先を見る
読者の皆さんの親御さんは、今どのように薬を管理していますか?
本人が自分で飲んでいるでしょうか?
それなら、少しだけその先を見てみてもいいかもしれません。
何の薬を飲んでいるのか?
一日何回なのか?
朝・昼・晩の区別はできているか?
飲み忘れはないか?
薬が余っていないか?
家族は薬の内容を知っているか?
お薬手帳がどこにあるか知っているか?
「自分で飲んでいる」という言葉だけでは、分からないことがあります。
母の経験を通じて、私はそのことを知りました。
「そんなことも介護になるんだ」と知ってほしい
この連載で、不安を煽りたいわけではありません。
親の行動を常に疑ってほしいわけでもありません。
伝えたいのは、「そんなことも介護になるんだ」ということです。
薬を飲むという、ごく普通の日常。
それも、高齢になり生活力や認知機能が変化すると、誰かの支えが必要になることがあります。
そして、その支えは、
朝
昼
晩
毎日の生活の中に入ってきます。
私自身、母を介護するまで、そこまで具体的には想像していませんでした。
だからこそ、「まだうちの親は元気」と思っている方にも、この現実を知っていただけたらと思っています。
私が作成した「親が倒れる前の介護準備チェックシート」にも、「親が飲んでいる薬・お薬手帳の場所を把握している」という項目を入れています。
今すぐ深刻な話をする必要はありません。
まずは、「お母さん、薬って今、一日何回飲んでいるの?」
そんな何気ない会話からでもいいのではないでしょうか?
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▼親の介護や介護準備が気になっている方はこちらをご覧ください。

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