第4回「忘れる人」ではなく、「困っている人」として見てみる
「忘れた」のではなく、今いる世界で迷っている
「さっき説明したばかりなのに、もう忘れている。」
「同じことを何度も聞かれると、ついイライラしてしまう。」
「どうして自分の家なのに、分からなくなるのだろう?」
認知症のある方と接していると、家族はこのような戸惑いを感じることがあります。
今日の予定を何度も確認する。
大切な物をどこに置いたか分からなくなる。
今いる場所が自宅だと分からず、「家に帰りたい」と訴える。
途中までできていたことの、次の手順が分からなくなる。
周囲から見れば、どれも「忘れてしまった」と見える出来事です。
もちろん、認知症によって記憶することや、時間・場所を正しく捉えることが難しくなる場合があります。
しかし、本人の立場に立ってみると、単に記憶が抜け落ちているだけではなく、
「今、何が起きているのか分からない?」
「次に何をすればよいのか分からない?」
「自分だけが状況を理解できていない?」
という不安や戸惑いの中にいるのかもしれません。
認知症のある方を「忘れる人」としてだけ捉えるのではなく、分からない世界の中で迷い、困っている人として見てみる。
今回は、その視点について考えてみたいと思います。
本人にとっては、毎回が「初めての質問」かもしれない
たとえば、朝、家族が伝えます。
「今日は午後3時に病院へ行くよ。」
その30分後、本人から聞かれます。
「今日はどこかへ行くの?」
家族はもう一度、「午後3時に病院へ行くよ」と答えます。
ところが少しすると、また、「病院はいつ行くの?」と尋ねられます。
何度も同じ質問を受ける家族は、
「さっきも言ったでしょう!」
「何回同じことを聞くの?」
と言いたくなるかもしれません。
しかし本人は、質問したことや、説明を受けたこと自体を覚えていない可能性があります。
本人にとっては、同じ質問を繰り返しているのではなく、毎回初めて確認している感覚なのかもしれません。
さらに、
「予定を間違えたらどうしよう?」
「自分だけ置いていかれるのではないか?」
「何か大切なことを忘れている気がする...。」
といった不安を抱えていることもあります。
そう考えると、「また同じことを聞いている」ではなく、
「予定が分からなくなり、また不安になったのかもしれない」
と見てみることができます。
「分からない」と言えないつらさもある
私たちは、説明が分からなければ、
「もう一度教えてください。」
「少しゆっくり話してください。」
「今の部分が理解できませんでした。」
と伝えることができます。
しかし、認知症のある方は、自分が何を分かっていないのかを整理できなかったり、うまく言葉にできなかったりすることがあります。
周囲から何度も、
「また忘れたの?」
「それも分からないの?」
「さっき説明したでしょう...。」
と言われるうちに、質問すること自体が怖くなる方もいるかもしれません。
分からないと言えば叱られる。
間違えれば家族が困った顔をする。
自分は迷惑をかけているのではないか?
そのように感じると、本当は困っていても、黙り込んだり、話を合わせたり、別の話題に変えたりすることがあります。
一見すると、本人が何も気にしていないように見えても、心の中では、
「何かがおかしい。」
「自分だけ分かっていない。」
「失敗したくない。」
と感じているかもしれません。
本人の言葉だけではなく、表情やしぐさ、落ち着かなさにも目を向けることが大切です。
「覚えている?」が、毎日の試験になっていないか?
家族は本人の状態が心配だからこそ、つい確認したくなります。
「今日が何日か分かる?」
「昨日、誰が来たか覚えている?」
「この人が誰か分かる?」
「さっき何を食べたか言える?」
もちろん、変化に早く気づくことは大切です。
ただ、日常の中で何度も記憶を試されると、本人にとっては、生活そのものが試験のように感じられることがあります。
答えられなければ、家族の表情が曇る。
間違えれば、訂正される。
何度も考えても思い出せない。
それでは、安心して会話を楽しむことが難しくなります。
日常会話では、本人に答えを求めるのではなく、こちらから自然に情報を添える方法もあります。
「今日は8月1日だね。暑い一日になりそうだね。」
「昨日は孫の〇〇ちゃんが来てくれて、楽しかったね。」
「こちらは近所の田中さんだよ。いつも声をかけてくださる方だよ。」
思い出せるかどうかを確かめるより、必要な情報をそっと渡す。
それは、本人の自尊心を守りながら、安心して会話に参加してもらうための工夫でもあります。
大切な物が見つからない時、本人には何が起きているのか?
財布や通帳、印鑑、鍵などを大切に思うあまり、本人がいつもとは違う場所にしまうことがあります。
ところが、しまったこと自体を忘れてしまう。
本人の感覚では、「ここに置いたはずなのに、なくなっている」ということになります。
探しても見つからない。
家族は「自分でどこかに置いたのでしょう」と言う。
しかし、本人には移動させた記憶がありません。
本人の世界では、本当に、「あったはずの物が突然なくなった」と感じられているのかもしれません。
それならば、
「誰かが持っていったのではないか?」
「盗られたのではないか?」
と考えることも、本人なりの理由があるように見えてきます。
そんな時に、
「またなくしたの?」
「自分で隠したのでしょう...。」
「誰も盗るわけがないでしょう?!」
と正しさだけを伝えても、不安はなかなか消えません。
まずは、
「見つからなくて心配なんですね。」
「一緒に探してみましょう。」
と、困っている気持ちを受け止める。
そのうえで、よくしまう場所を一緒に確認したり、保管場所をできるだけ固定したり、箱や引き出しに分かりやすい目印を付けたりすることができます。
本人に「忘れないように頑張ってもらう。」だけではなく、「忘れても困りすぎない環境を整える。」という考え方が大切です。
途中で分からなくなっているのかもしれない
認知症のある方は、何もかもできなくなるわけではありません。
料理を始めることはできる。
洗濯物を洗濯機に入れることもできる。
着替えようと服を取り出すこともできる。
ところが、途中で次に何をすればよいか分からなくなることがあります。
料理では、材料を出したものの、どの順番で調理するのか分からなくなる。
着替えでは、服を手に取ったものの、どちらから着ればよいのか分からなくなる。
外出では、玄関を出たものの、目的地までの道順が分からなくなる。
周囲から見ると、
「途中でやめてしまった。」
「やる気がない。」
「何をしているのか分からない?」
ように見えるかもしれません。
しかし本人は、慣れた道を歩いていたはずなのに、突然、道しるべを見失ったような状態なのかもしれません。
そんな時は、一度に多くのことを伝えるより、
「まず、この服を着ましょう。」
「次に、このお皿をテーブルへ運んでもらえますか。」
「ここを一緒に曲がりましょう。」
と、今必要なことを一つずつ伝える方が分かりやすくなります。
途中までできたことにも目を向け、
「ここまでできましたね。」
「手伝ってくれてありがとう。」
と声をかけることも、本人の安心や自信につながります。
すべての間違いを訂正しなくてもよい
すでに退職している父親が、朝になると、「会社へ行かなければ」と出勤の準備を始める。
そんな時、家族は、
「もう会社は辞めたでしょう?!」
「何年前の話をしているの?」
と事実を説明したくなるかもしれません。
もちろん、安全に関わる場合や、外出を防ぐ必要がある場合には、現実的な対応が必要です。
ただ、いつでも強く訂正すればよいとは限りません。
本人にとって仕事は、長年続けてきた大切な役割だったのかもしれません。
「会社へ行かなければ」という言葉の奥には、
「自分にはやるべきことがある。」
「誰かに必要とされている。」
「責任を果たさなければならない。」
という思いが残っている可能性もあります。
そんな時は、
「長い間、お仕事を頑張ってきたんだね。」
「今日は少しお茶を飲んでからにしようか?」
と、言葉の奥にある気持ちを受け止めることもできます。
大切なのは、本人を言い負かすことではありません。
今、何を心配しているのか?
どのような役割を求めているのか?
何があれば安心できるのか?
本人の歩んできた人生を知ることが、関わり方を考える手掛かりになります。
「本人のため」の先回りが、本人の機会を奪うこともある
家族は、本人が困らないように先回りします。
予定をすべて管理する。
持ち物をすべて準備する。
本人に尋ねず、家族だけで予定を決める。
危ないからと、外出や家事をやめてもらう。
家族としては、失敗を防ぎたいのです。
その気持ちは自然なものです。
しかし、先回りしすぎると、本人が自分で選んだり、考えたり、希望を伝えたりする機会まで少なくなることがあります。
認知症があっても、本人の意思や好みがすべてなくなるわけではありません。
たとえば、
「今日は青い服と白い服の、どちらにしますか?」
「散歩は午前と午後、どちらがよいですか?」
「お茶とコーヒーなら、どちらを飲みたいですか?」
と、選択肢を少なくして尋ねれば、本人が選べる場合があります。
「どうせ分からないから」と決めつけるのではなく、本人が参加しやすい形を整える。
それも、「困っている人として見てみる」から生まれる支援です。
本人の気持ちを理解することと、家族が我慢し続けることは違う
ここまで、本人の立場を想像することの大切さをお伝えしてきました。
ただし、家族がどのような時も穏やかに対応できるわけではありません。
同じ質問が一日に何十回も続く。
物探しに長い時間付き合う。
夜中に何度も起こされる。
外へ出ないよう、常に見守る。
仕事や家事を抱えながら対応していれば、疲れるのは当然です。
「本人も困っているのだから、我慢しなければ...。」と考えすぎないでください。
本人を理解しようとすることと、家族が一人ですべてを背負うことは同じではありません。
イライラしてしまう。
強い口調になってしまう。
もう限界だと感じる。
そのような時は、介護者として失格なのではなく、支援が必要になっているサインかもしれません。
地域包括支援センター、かかりつけ医、ケアマネジャーなどに、
「同じ質問が何度も続き、対応がつらい。」
「物を盗ったと疑われ、精神的に苦しい。」
「昼夜を問わず見守りが必要になっている。」
と、具体的に相談してください。
本人だけでなく、支える家族にも支援が必要です。
「忘れる人」から「迷い、困っている人」へ
同じ質問を繰り返す。
大切な物をなくす。
予定が分からなくなる。
途中で何をしていたのか分からなくなる。
その姿だけを見れば、「また忘れた」と思うでしょう。
しかし本人は、記憶という道しるべを見失い、今いる場所で迷っているのかもしれません。
そんな時、周囲の人ができることは、間違いを指摘し続けることではなく、安心できる道しるべになることです。
「大丈夫ですよ。」
「一緒に確認しましょう。」
「ここに書いてありますよ。」
「次は、これをしましょう。」
忘れないように強く求めるのではなく、忘れても困りすぎない暮らしを一緒につくる。
認知症のある方への支援とは、本人を以前の状態に戻そうとすることだけではありません。
今の本人が少しでも安心して歩けるように、道を分かりやすく整えることでもあるのだと思います。
今日の小さな一歩
身近な方が同じことを尋ねた時、「さっきも言ったでしょう!」と答える前に、ほんの少しだけ間を置いてみてください。
そして、「この人は今、何が分からなくて困っているのだろう?」と考えてみます。
予定が見えず、不安なのかもしれない。
自分だけ取り残されたと感じているのかもしれない。
失敗することを怖がっているのかもしれない。
すぐに答えが見つからなくても構いません。
「忘れる人」として決めつけるのではなく、
「分からない世界で迷い、困っている人」として見てみる。
その小さな視点の変化が、本人に届ける言葉を少しやさしく変えてくれるかもしれません。
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