親の沈黙の本当の理由―「与える側」でなくなることへの、根源的な恐れ

前回、私たちは親との対話を阻む、見えない「感情の壁」の存在について触れました。
今回は、その壁を構成している、親側の視点からその心理を深く、そして丁寧に探っていきます。なぜ親は、将来の話になると口を閉ざしたり、話題を逸らしたり、時には不機嫌になったりするのでしょうか。
その根底にあるのは、単なる頑固さや照れではありません。
それは、自身の「老い」と、それに伴う「役割の変化」に対する、根源的な恐れなのです。
■「与える側」から「依存する側」へ。アイデンティティの崩壊
親にとって、介護や終末期の話は、単に将来のプランを立てるという事務的な作業ではありません。それは、自身の衰えや、いつか来る死を、真正面から直視させられる行為です。
考えてみてください。彼らは何十年もの間、家族を支え、守り、何かを「与える側」として生きてきました。
お金を稼ぎ、食事を作り、子の成長を見守り、家の問題を解決する。その役割こそが、彼らのアイデンティティそのものだったのです。
しかし、介護の話は、その役割が逆転する未来を突きつけます。
これまで家族を支えてきた自分が、いずれ誰かに頼り、お世話をされる「依存する側」になるかもしれない。
この役割の転換は、彼らが長年かけて築き上げてきた自律性や存在価値を根底から揺るがす、大きな脅威となり得ます 。それはまるで、人生という舞台で演じ続けてきた主役の座から、引きずり降ろされるような感覚に近いのかもしれません。
■「迷惑をかけたくない」は、愛情であり、最後のプライド
この恐れと深く結びついているのが、多くの親が口にする「子供に迷惑はかけたくない」という言葉です。これはもちろん、子を思う深い愛情の表れです。しかし同時に、それは自身の尊厳を守るための、最後の砦、最後のプライドでもあるのです。
「まだ大丈夫」「自分のことは自分でできる」という言葉は、単なる強がりではありません。それは、「まだ私は、あなたに与える側の親なのだ」というかろうじて保っている心のバランスを、崩さないでほしいという、切実な心の叫びなのです。
この親世代が抱えるプライドと、その裏側にある深い不安を理解することなく、ただ正論として「将来のために話し合おう」と迫るだけでは、彼らの心をさらに固く閉ざさせてしまうだけなのです。私たちが向き合うべきは、親の言葉ではなく、その言葉の裏に隠された、声なき心の叫びなのかもしれません。
このような親のプライドと、その裏側にある不安をときほぐすために必要なことは、親子の会話であり、その会話のきっかけとなる最適なツールが、「私と家族の100年ライフ見える化ノート」です。
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次回は、私たち「子供側」が抱える、優しさと罪悪感が入り混じった複雑な感情の正体について、深く見ていきます。
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