第2回 認知症になると何もできなくなるは本当か?
できることは、まだ残っている
認知症と聞くと、
「何も分からなくなる」
「何もできなくなる」
「家族が全部やってあげなければならない」
というイメージを持つ方は少なくないと思います。
確かに、認知症になると、記憶力や判断力、段取りを考える力などに変化が起きることがあります。
これまで当たり前にできていたことが、少しずつ難しくなる。
同じことを何度も聞く。
予定を忘れる。
物の置き場所が分からなくなる。
料理や買い物、薬の管理が不安になる。
家族から見ると、
「前はできていたのに...。」
「もう一人では無理なのではないか?」
「危ないから、全部こちらでやった方がいいのではないか?」
と感じる場面も増えていきます。
しかし、ここで大切なのは、「できないことが増えること」と「何もできなくなること」は同じではないという視点です。
認知症になったとしても、本人の中には、まだできること、分かること、感じ取れること、楽しめることが残っています。
「できないこと」ばかりを見ると、本人の力が見えなくなる
家族は、どうしても心配な場面に目が向きます。
火の消し忘れがあった。
通帳の場所が分からなくなった。
薬を飲み忘れた。
同じ食品を何度も買ってきた。
約束の日を間違えた。
こうした出来事が続くと、家族は不安になります。
当然です。
ただ、その不安が強くなるほど、本人の「できないこと」ばかりを見てしまいやすくなります。
でも、本人にはまだ残っている力があるかもしれません。
花に水をあげることはできる。
洗濯物をたたむことはできる。
昔から作っていた味噌汁なら作れる。
近所の人にあいさつできる。
好きな歌を口ずさめる。
孫の顔を見るとうれしそうに笑う。
毎朝の散歩は続けられる。
誰かの役に立ちたいという気持ちは残っている。
認知症になると、すべてが一気に失われるわけではありません。
難しくなることがある一方で、本人らしさや習慣、感情、得意なことが残っていることも多いのです。
手伝いすぎることが、本人の力を奪うこともある
家族が心配して、本人の代わりに何でもやってしまうことがあります。
「危ないから、もう料理はしないで」
「失敗すると困るから、私が全部やるね」
「時間がかかるから、もう座っていて」
「分からないだろうから、こちらで決めておくね」
家族としては、本人を守りたい。
失敗させたくない。
トラブルを防ぎたい。
そう思っての行動です。
その気持ちは、とても自然なものです。
しかし、何でも先回りしてやってしまうと、本人が使える力まで使わなくなってしまうことがあります。
できるはずだったことをやめてしまう。
役割を失ってしまう。
「自分はもう何もできない人間だ」と感じてしまう。
家の中で居場所がなくなってしまう。
これは、本人にとって大きな喪失感につながることがあります。
支援とは、本人の代わりにすべてをやることではありません。
本人ができることを見つけ、その力を安全に使えるように環境を整えることでもあります。
大切なのは「できる形」に変えること
認知症の方への支援で大切なのは、「できるか、できないか」だけで判断しないことです。
以前と同じやり方では難しくなっても、やり方を少し変えればできることがあります。
たとえば、料理が不安になってきた場合、すべてを任せるのは危ないかもしれません。
でも、野菜を洗う、食器を並べる、味見をする、簡単な盛りつけをすることはできるかもしれません。
買い物が難しくなってきた場合
一人で遠くのスーパーに行くのは不安でも、家族と一緒に行く、決まったお店だけにする、買うものをメモにしておくことで続けられるかもしれません。
薬の管理が難しくなってきた場合
本人任せにするのは危険でも、お薬カレンダーを使う、家族や薬剤師と確認する、訪問薬剤師や介護サービスにつなげることで、生活を守る方法があります。
つまり、「もう無理」ではなく、「どうすれば続けられるか」を考えることも大切なのです。
役割があることは、生きる力になる
人は、誰かの役に立っていると感じられると、心が支えられます。
それは、認知症になっても同じです。
家の中での小さな役割
地域の人とのあいさつ
花の世話
食卓の準備
孫に昔話をすること
仏壇に手を合わせること
家族の帰りを待つこと
一見、小さなことに見えても、本人にとっては「自分の役割」になっていることがあります。
家族が忙しいと、つい効率を優先してしまいます。
でも、認知症の方と関わる時には、効率だけではなく、本人の尊厳や居場所も大切にしたいところです。
「まだできることは何か?」
「本人が続けたいことは何か?」
「どんな場面なら安心して参加できるか?」
この問いを持つだけで、関わり方は変わります。
失敗しないことより、安心して続けられること
認知症の方が何かをすると、時間がかかることがあります。
途中で分からなくなることもあります。
思うように進まないこともあります。
家族としては、見ていてもどかしい。
つい手を出したくなる。
口を出したくなる。
そんな場面もあると思います。
でも、本人にとって大切なのは、完璧にできることだけではありません。
少し手伝ってもらいながらできた。
途中まででも参加できた。
ありがとうと言われた。
自分にも役割があると感じられた。
その経験が、本人の安心や自信につながることがあります。
もちろん、安全面への配慮は必要です。
火の扱い、薬、お金、外出、契約など、家族や専門職の支援が必要な場面もあります。
大切なのは、危険を放置することではありません。
危険な部分は支えながら、本人の力が残る部分はできるだけ奪わないことです。
家族が見るべきは「低下」だけではない
認知症の進行に目を向けることは大切です。
ただし、低下していく部分だけを見ていると、本人との関係が苦しくなってしまいます。
「また忘れた」
「またできなかった」
「また失敗した」
この見方が続くと、家族も疲れます。
本人もつらくなります。
だからこそ、意識して見つけたいのです。
「今日は笑顔があった」
「この作業はまだできた」
「この話には反応してくれた」
「この場所では落ち着いていた」
「この人とは安心して話せていた」
できないことへの対策と同時に、できることへの注目が必要です。
認知症支援は、失われたものだけを見るのではなく、残っている力をどう支えるかという視点が欠かせません。
認知症になっても、人生は続いていく
認知症になることは、本人にとっても家族にとっても大きな変化です。
不安もあります。
悲しさもあります。
戸惑いもあります。
それでも、認知症になった瞬間に、その人の人生が終わるわけではありません。
生活は続きます。
人との関係も続きます。
うれしい、楽しい、安心する、寂しい、不安だと感じる心もあります。
その人らしさも、完全に消えてしまうわけではありません。
だからこそ、
「何もできなくなった人」として見るのではなく、「できることが変わってきた人」「支え方を工夫すれば、まだ参加できる人」として見ることが大切です。
今日の小さな一歩
親や身近な高齢の方に対して、「できなくなったこと」だけではなく、「まだできていること」を3つ書き出してみてください。
たとえば、
花の世話ができる。
朝の散歩ができる。
家族にあいさつができる。
好きな歌を覚えている。
食器を並べられる。
昔の仕事の話を楽しそうにできる。
どんな小さなことでも構いません。
できることを見つけることは、本人を励ますだけでなく、家族の見方を変えるきっかけにもなります。
認知症になると何もできなくなる。
そう決めつける前に、まずは本人の中に残っている力を見つけることから始めてみませんか?
本人の中には、まだ残っている力や習慣、その人らしさがあります。

投稿されたコメントはありません